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2018-12-09

ダウンロード違法化の審議について一言言っておく

ライセンス違反の静止画像のダウンロードを違法化しようという法律の審議が行われているらしい。

海賊版静止画のDL規制を 文化審議会が意見まとめる:朝日新聞デジタル

はっきり言って、これは由々しき事態である。インターネットの利用に大きな制約をかけ、日本の文化を破壊するであろう、最悪の法案であると言える。はっきり言って、このような低レベルな話し合いが行われていること自体に私は憤怒している。最近は多忙のため筆を置いていたのだが、久々に筆をとることにした。この法案の問題をしてきしておかねばならないからだ。

技術的に取り締まりは難しい

一技術者としてこれだけは言っておきたい。そもそも、ダウンロード側を意図したものだけ上手く取り締まるような技術は存在しない。

まず、ファイルのダウンロードというが、それは範囲が大きすぎる。多くのウェブページには画像が多数埋め込まれているが、基本的にそれらは画像ファイルを特定の場所に埋め込んでいるに過ぎない。Base64でエンコードして、HTML本体に画像を埋め込むという技法もあるが、Base64エンコードをすると元のファイルよりもサイズが大きくなるなどの問題がある。そのため、画像ファイルが大きい場合や、画像の枚数が多い場合には、そのようなBase64エンコードによる埋め込みなどはしないのが一般的である。もしかすると将来そのような画像の見せ方が主流になるかも知れないが、少なくとも現時点でそれは極めて少数派であると言える。つまり、ウェブページ上で画像が表示されるということは、その画像がダウンロードされたものであるということである。もしライセンス違反の静止画像をダウンロードすることが違法になれば、サイトを表示するだけで違法行為をしたことになってしまう。

ではブラウザで表示されただけでなく、静止画像ファイルを保存した場合のみを対象にすれば良いという意見が出るかも知れないが、これも技術的に取り締まりが不可能である。そもそもだが、ブラウザによってダウンロードされたファイルは、通常は端末のファイルシステム上に保存される。ウェブページを表示するためにキャッシュとして利用され、何度も同じ画像をダウンロードするのを防ぐためだ。ブラウザのユーザーが意図せずとも、静止画像ファイルはファイルシステム上に保存されるのである。ファイルを保存するかどうかは端末(ブラウザ)側の挙動であり、ファイルを送信するサーバー側が、送信後のファイルがどのように扱われたかを知る術はない。

そんなわけで、そもそもダウンロードを取り締まるというのは技術的に不可能であり、このような法案を出すということは、ITリテラシーが無いと自ら宣伝しているに等しいのである。はっきり言って文化審議会の面々は己の無知を恥じるべきである。このような法案がもし通ってしまえば、日本はIT後進国だということが世界中に知らしめられ、嘲笑の渦を巻き起こすだろう。ITリテラシーの無い連中に、インターネットに関する法案を審議させるというのは馬鹿げている。現在の審議会は即刻解散すべきである。

取り締まるべきは送信側

そもそも、ライセンス違反を取り締まるのであれば、その対象は送信側、つまりダウンロード可能な状態にしている側に限定するべきである。ダウンロード可能な状態にするのは、わざわざサーバーを準備する必要があり、端末を保持しているだけでは実現できないからである。ライセンス違反の静止画像がダウンロード可能な状態になっているかどうかを調べるのは簡単である。実際にそのファイルをダウンロードしてみれば良い。送信側であれば技術的に何ら無理はなく、取り締まることが可能である。

ウェブサイトの中には、ユーザーが自分の端末からサーバーへアップロードした画像ファイルを、他者に共有できるタイプのものがある。そのような場合、ユーザーがライセンス違反の静止画像をアップロードしてしまうこともあるだろう。サイトの規模が大きければアップロードされる画像ファイルは相当な数になるので、サーバー管理者が逐一チェックするのは現実的ではないので、容易にアップロードされてしまう。ここで重要なのは、アップロードという行為は、端末のユーザーが自ら対象の静止画像ファイルを選択するなどの操作が必要だという点である。ダウンロードとは異なり、ウェブサイトを表示しただけで勝手に静止画像ファイルがアップロードされることはない。従って、ファイルのアップロードは全て故意であると言える。「ライセンス違反だと確定的に知っている場合のみ」というような制限を設ける必要すら無く、取り締まりに適している。

行き過ぎた刑罰

冒頭の記事によると、「懲役2年以下か200万円以下の罰金、または両方の罰則」という刑罰が検討されているようだ。この刑罰は異様に大きい。既存の刑罰と比較すると、不自然なアンバランスさであると言える。

刑罰の内容/刑事告訴・告発支援センター

このサイトに刑罰の一覧が載っているのでぜひ見比べてみて欲しい。ここで列挙されている「2年以下の懲役」の罪状と比べ、静止画像のダウンロードは同等の罪なのだろうか。3年以下の懲役もかなりあるが、例えば死体損壊罪と比べ、静止画像のダウンロードは2/3ほどの懲役が必要な罪なのだろうか。しかも、もしこの法案が通ってしまえば、ライセンス違反のサイトを開いただけで死体損壊罪の2/3の刑期が課せられてしまうという恐れが出てきてしまう。なんと馬鹿げた話だろう。

ちなみに、現行の法律でも違法アップロードの罪状は異様なほど重い。なんと「10年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金、またはその両方」である。なんと刑期だけでも恐喝罪や詐欺罪、強制わいせつ罪などよりも重い上に、罰金は1000万円という破格である。他の刑事罰と比べると、アンバランスさが際立っている。なぜこのような公平性を欠く法律が通過してしまったのか。日本は業界の利権者の声が殊更良く通るとしか言いようがない。そこには公平性や文化の振興というような考えはなく、日本経済が停滞するのは当然の帰結のように思う。

ちなみに、私はこの手のライセンス違反行為に対して、海賊という言葉を使うことには反対である。なぜなら、海賊という言葉が意味することと、ライセンス違反行為には大きな乖離があるからだ。海賊といえば、海上で船を襲い、金品を強奪し、乗客や乗組員を殺傷したり、時には彼らを人質にして身代金をせしめる極悪非道の連中である。そのような非人道的行為と、ライセンス違反を同列に見做すべきであろうか。ライセンスに違反している者が不当に利益を得ているということは否定しない。だが、その被害や利得は、せいぜい万引き(窃盗)と同レベルである。例えばマンガ本一冊分の静止画像ファイルをダウンロードしたとき、本来出版社に入るはずだった利益はマンガ本一冊分であるし、ライセンス違反者が得た利益もマンガ本一冊分であるはずだ。本物の海賊行為のように高価な金品が強奪されたり、人が死んだり、人質にされることはあり得ない。すべてコンピュータの中で行われる行為だからである。そもそも、著作権者の許可なく著作物を頒布あるいは入手する行為は、ライセンス違反または著作権法違反というもっと良い呼称がある。それでもあえて現実の他の行為に当てはめてると言うなら、デジタル万引きぐらいが妥当であると言える。しかも現実の万引きとは違い、被害者は本来得られた収益は得られないものの、品物を失うことはないのである。

ライセンス違反のファイルダウンロードは、すべてコンピュータの中で閉じた出来事であるが、あえて現実世界の行為を当てはめるとしたら、万引きや窃盗というのが適切ではないだろうか。海賊行為と比較するのは、行き過ぎたプロパガンダであると言える。オーバーな表現を使いすぎると、言葉の説得力が失われてしまう。海賊版と言う言葉は、十分すぎるほどオーバーな表現であり、既に説得力が喪失している。むしろあえてデジタル万引きと言うような身近で現実に即した表現を用いたほうが、より多くの人が「それはイケない行為だ」ということに気づく切欠になるのではないだろうか。

取り締まりのためにプライバシーを明け渡すべきか

少し話を戻して、ライセンス違反のダウンロードの取り締まる方法について考えてみよう。ライセンス違反の静止画像ファイルがダウンロードされた疑いがあるとして、それをどうやって証明するのだろうか。証明するには、端末を調査するしかない。端末のファイルシステムをくまなく調査して、ライセンス違反のファイルが無いかどうかを調べるのである。倫理的には万引きとほぼ等しいような行為、いわばデジタル万引きを理由に、警察が端末を押収して調査するような必然性や合理性は、果たして存在するのだろうか。

しかし、インターネット全盛の現在の端末は、従来とは異なる勝を帯びているのは疑いようがない。今のスマートフォンやPCは電卓のような単なる電子機器ではなく、ありとあらゆる個人情報やプライバシーが格納されている。そのデータにこそ価値があると言える。多くの場合はプライベートの写真や、家族や友人、あるいは同僚などとのメッセージ交換の履歴が格納されている。そういった情報はもちろん、その人のプライバシーに関わる情報である。端末を押収して調査するというのは、如何にも古典的で時代遅れの発想ではないか。もしこの法案が成立してしまったら、警察は「ライセンス違反のファイルをダウンロードした疑い」で、市民の端末を調べ放題になるだろう。そして端末を調べれば、個人のプライバシーは丸裸にされることになる。

端末の押収捜査はプライバシーだけの問題にとどまらない。端末はもはや生活必需品と言って良いものであり、押収されると極めて不便を強いられることになる。また、格納されているデータには所有者にとって大きな価値があるのだが、押収品のデータは抹消されるのが原則となっている。仕事や人脈などに関するデータは、その人にとって財産とも言うべきものであるが、押収されるとその価値が喪失してしまうのである。

警察が「ライセンス違反の静止画像ダウンロードの疑い」を理由に、そこまでの権限を手にする道理はどこにあるのだろうか。

取り締まりのために通信の秘匿を明け渡すべきか

もしかすると、読者の方の中には「ライセンス違反のファイルにアクセスしたかどうかは、キャリアやプロバイダなどのインターネット接続サービスを業者が検知すればいいだろう」と考えてしまう人が居るかも知れない。だが、それも技術的には不可能である。いや、不可能になりつつある。

セキュリティの観点から、現在のウェブサイトではHTTPS化が進んでいる。HTTPSは通信が暗号化されたウェブのプロトコルである。暗号化されているのだから、(それが正常に機能していれば)サーバーとクライアント間の通信は第三者からは分からない。当然、インターネット接続サービスを提供する中間地点に位置するものであっても、通信の中身を覗き見ることはできないのである。HTTPであれば可能だが、それでは通信内容が第三者に漏れてしまい、本末転倒である。ライセンス違反の静止画像ダウンロードの取り締まりのためにHTTPSを捨ててHTTP化せよ、というのは全く社会の利害と一致しない。もう少し厳密に言うと、HTTPSでは、クライアントがどのサーバーと通信しているかということは分かるが、通信内容は暗号化されているので分からないということになる。従って、通信経路から「ライセンス違反のファイルをダウンロードしたか」ということは、調べることはできないのである。

通信の秘匿はプライバシーを守るため、さらには取引などの安全性を守るために必須の要件である。ライセンス違反のファイルをダウンロードしたかどうかを取り締まることよりも、通信の秘匿を守ることのほうが、ずっと公益にかなっている

故意の証明という課題

もし端末を押収され、ライセンス違反のダウンロードをしている疑いが確定したとしよう。しかし、それでも最後にこの法律には大きなハードルがある。法律違反が確定するのは、「ライセンス違反であると確定的に知っている場合のみ」である。ライセンス違反だとその人が知っていることは、どうやって証明するのだろうか。取り締まられた人が、もし本当は知っているとしても、「知りませんでした」と供述した場合、本当は知っていたということをどうやって引き出すのだろうか。

これは、現在の警察の調査方法を見る限り、自白を強いられるようになることは想像に難くない。とはいえ、被疑者が自白したからと言え、必ずしも真犯人ではないということは、過去の冤罪事件がそれを証明している。例えば足利事件である。

今は別に警察の過去の取り調べについて責めているワケではない。自白や恣意的な解釈が入り込む余地があるような法案を批判しているのである。取り締まり方法に無理がある以上、最終的に自白に頼るしか無い。しかも取り締まりに無理があるような内容の行為に対し、自白に頼った運用をするというのは、極めて馬鹿らしい制度であるとは言えまいか。法律が制定されてしまったら、警察は動かないわけにはいかないだろう。法律を実行するのが行政の仕事であり、犯罪を取り締まるのが警察の役割だからだ。だから、このような無理のある法律は、成立させないのが一番なのである。

読者の萎縮と文化の後退

もしダウンロードまでをも違法化してしまったら、間違いなくユーザーは萎縮してしまうだろう。ウェブ上で漫画を読めるサービスというのは存在する。いや、乱立していると言っても過言ではない。すべてのユーザーが完璧にその個々のサービスがきちんとライセンスされたものかどうかを判断することは不可能である。その結果、多くの人が漫画そのものへアクセスすることを諦め、漫画産業全体が縮小することになるだろう。いわば文化の後退である。他に様々な優れたエンターテイメントが存在する現代では、如何にユーザーに時間を使って貰うかということが、産業発展の鍵となる。

締め付けがキツければ文化は後退するし、緩ければ発展する。これは過去のデータが証明している。例えば、映画産業の聖地と言えばハリウッドであるが、その発端は「エジソンから遠ざかるためにハリウッドの地を選んだ」というものである。エジソンから徴収される特許料を避けた結果、映画が発展したのである。その様子は、書籍「反・知的独占」などに詳しい記述がある。この書籍では、主にイノベーションについての議論が展開されているが、著作権についての議論もある。

この「静止画像ダウンロード違法化」は、そのような流れに逆行した法案であるとしか言いようがない。しかも文化庁が旗を振って法案を進めているというのだから笑い話である。このままでは漫画という文化を振興するどころか、破壊することになってしまうだろう。いっそのこと、文化破壊庁とでも改名しては如何だろうか。

国民はもっと大きな声を!!

このまま法案が通ってしまったら、日本の大きな恥となる。奴らは何もITが分かっていないと諸外国から思われてしまうだろう。そして警察組織は無理で意味のない取り締まりを強いられ、文化は萎縮し、その結果経済は縮小する。これほど公益に反した法律があるだろうか。繰り返しになるが、そもそも送信側(アップロード側)を取り締まれば十分であるし、そちらは技術的にも問題は無いのである。



赤松氏によると、当事者から意見が出ていないそうだ。はっきり言ってこの法案は漫画家にとって死活問題だと思うので、ぜひ声を上げて頂きたいと思う。漫画家でなくとも、漫画愛好家にとっても、漫画産業の発展のため声を上げるべきだろう。トチ狂った文化庁と一部の利害関係者の暴走を止めるには、多くの国民の声が必要なのである。

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