無類のアップルファンとして知られるdankogai氏も、当然のごとくiPhone 4Sについて言及しているのだが、今回の氏の主張には違和感を感じるところがある。その違和感は読めば読むほど大きくなってきて、少しではあるが言葉にすることが出来た。そんなわけで、今日はdankogaiのエントリについて異論を挟んでみようと思う。
iPhoneは完成した製品か?
まず、最も違和感を感じるのは次の部分。
Appleのデザイン力がどれほど優れていようと、デザインできないものが一つある。
我々ユーザーの、肉体だ。
〜中略〜
片手での操作に耐えるスマートフォンは、今もなおiPhoneのみ。
その意味において、iPhoneはすでに完成した製品だ。
iPhoneは本当に完成した製品なのだろうか?
確かにアップルは(バイオテクノロジーの企業ではないので)肉体をデザインすることは不可能だろう。しかし我々の肉体には個人差というものが存在する。手が大きい人が居れば小さい人も居る。指が細い人が居れば太い人も居る。子供から大人になるにつれて大きくなる。そんな千差万別な我々全員にジャストフィットする、完成された唯一無二のスマートフォンなどというものは、果たして存在するだろうか?
否!!存在するわけがない!!
ここで「平均的な手のサイズの人にはちょうどいい」などと意味のない反論はしないで頂きたい。だいたい男性と女性でも手の大きさの平均サイズは大きく異なるだろうし、国によっても差があるだろう。(きっとチェ・ホンマン氏ならGalaxy S IIすら小さく感じるに違いない。)
そのような千差万別なサイズの手を持った我々に、ワンサイズのiPhoneが対応できるわけがないのだ。サイズのバリエーションという意味ではAndroidのほうが遥かにアドバンテージがある。
真にiNtimateなデバイスとは
さて、お次はiNtimateなデバイスについて。
大事なのは、次の「革命的な」iSometingは、iPhoneより革命的にiNtimateでなければならないということ。現状それに最も近いのは腕時計なのではないか。
筆者は腕時計を普段身につけない。実は、筆者はここ数年で体重が20kg程度変化してしまったせいで、以前使用していた腕時計のサイズが合わなくなってしまった。「時刻を調べる」という機能は、外出時は携帯で、家に居るときは壁掛け時計やPCがあるので、腕時計の必要性を感じないのだ。いい年してるなら腕時計ぐらいしろという主張もあるが、タイプするときに腕時計は邪魔なので、結局ほとんどの時間は外す羽目になる。なので腕時計がiNtimateだという主張はまったくもってしっくり来ない。
iNtimate・・・つまり我々が肌身離さず身につけているものといえば一体なんだろうか。色々考えたが、やはり最終的には「パンツ」をおいて他にないのではなかろうか。パンツならばおむつが取れたお子様から、再度オムツが必要になる老人まで幅広い年齢層が常時身につけている。稀に裸族という衣類を利用しない方々もいらっしゃるが、そうでない限り全ての人がパンツを穿いていると仮定しても問題はない。パンツは寝ても覚めても穿いている。パンツを脱ぐのは風呂や便所に入るときとセックスをするときぐらいだろう。まさに究極のウェアラブルコンピューティングがそこにある。
とはいえ、スマートフォンの形状がパンツだと別の問題が生じることになる。例えばどうやって電話をかけるのかという問題だ。前かがみになってパンツに話しかけるというのは傍目から見てかなりおかしな行動であるし、まさか電話をかけるために公衆の面前でパンツを脱ぐわけにはいくまい。ズボンの上からパンツを穿けばいつでも脱げるというソリューションもあるが、ファッション的にそれはどうだろうか。だいいちズボンの上から穿くようでは、ウェアラブルコンピューティングとは言えない。他にも汚れたら着替えや洗濯はどうするのか?とか、マイクがおならの音を拾ったら困るという問題があり、究極のiNtimateなデバイスの形状がパンツというのはハードルが高そうだと言える。(しかしSiriという機能はパンツにこそ相応しいと思うので残念だ。未来のテクノロジーならきっと携帯に臭いセンサーなどが実装されていて、プッとおならをすると「昨日にんにく食った?」と反応してくれたり、トイレの後に「ちゃんと拭いたか?」などとアドバイスしてくれるはずだ。そうすれば一人暮らしでも「屁をひって、おかしくも無し独り者」などという川柳を口ずさむ必要もなくなるだろう。)
話が激しく変な方向に脱線してしまったが、現実的な解としてはメガネなどのほうが自然ではないかと思う。視力が悪くないなら伊達メガネをかけるような感じで。メガネならこういう感じでHMDとして使うという用途も視野に入る。メガネなら起きている間は四六時中かけていられるだろう。
とはいえ、携帯電話をメガネの形状にするには問題がある。メガネは携帯電話に比べるととても軽いからだ。筆者はメガネユーザーであるが、メガネは軽ければ軽いほうがかけていて楽である。なので携帯のように重いメガネというのは勘弁願いたいところであり、携帯をメガネの形状にするならば、相当な軽量化が望まれるところである。しかし時間が経てば今のスマートフォンと同等レベルの機能がメガネ程度の重さで実現出来るようになると思うので、将来そのようなデバイスが出てきてもおかしくはないだろう。
クラウドの利用
最後の指摘はクラウドについて。
"iWatch"を製品化するのは別にAppleでなくても構わない。しかし"iWatch"はiWatchのみでは機能せず、iCloud相当のものが背後(あるいは頭上)にあってはじめて機能するというのも確かで、時計屋さんにそれを作るのはかなり難しいだろう。一番近いところにいるのは、やはりAppleということになる。
クラウドのリソースを活用すればデバイスは小さくなるねという点には同意するが、アップルがそれに「一番近い」という点には同意しかねる。クラウドという点では、GoogleやAmazonなどのその他のプレイヤーに一日の長があると思う。iPhoneを持たない筆者はアップルのクラウドサービスを一切利用していないが、GoogleやAmazonのサービスにはとてもお世話になっている。
iPhone 4Sについて
ところで、筆者はiPhone 4Sを所有していないが、きっととても素晴らしいデバイスに違いないと考えている。コンピュータデバイスの使用感を左右する決め手になる重要な要素として、今も昔もパワフルなプロセッサというのは外せない。パフォーマンス不足によるレスポンスの低下は、ユーザビリティにとって致命的である。dankogai氏は一切触れていないが、地道なパフォーマンスの向上がユーザビリティに直結するのである。同じサイズでCPU性能が2倍というのは素晴らしい。アップルファンなら迷わず買ってもイイと思う。少し強引なまとめ
最新のデバイスやそれらの未来像についてあれこれ考え、語るのはとても面白い。ついつい時間を忘れてしまうほどだ。特に原稿などの締切りが迫ってくるほどに、そのような活動に身が入ってくるから不思議である。コンピュータが進化するにつれ、様々な社会問題が浮上してくる。それに伴ってDRMやセキュアブートといった自由を侵略する機能が幅を利かせるようになりつつあるが、いちコンピュータファンとして、自由を愛する者として、未来のコンピュータから自由が奪われていないことを切に願うばかりである。革新的な機能よりも何よりも自由が大事だからだ。
なお、最後に本ブログで度々元ネタとして使わせて頂いているdankogai氏にも感謝を申し上げたい。さんざん突っ込んでおいて言うのもなんだが、dankogai氏のブログ"404 Blog Not Found"はとても面白い。面白いブログにはどこかツッコミどころというか、隙が存在するように思う。それでいて読み手を惹きつける何かがある。氏のブログのいちファンとして、日々新たなエントリを楽しみにしようと思う。
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