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2009-04-24

中国によるソースコード開示要求についての考察

中国、ITソースコード強制開示強行へ…国際問題化の懸念
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20090424-OYT1T00053.htm

SunがOracleに買収され、草なぎが脱ぎ、驚きのニュースが続くなあと思っていたら、今度は中国からビックリなニュースの到来である。なんと、中国で販売するIT製品はソースコードを開示しなければいけなくなるというのだ。これは一見すると、俺のようなフリーソフトウェア支持者またはオープンソース支持者にとって歓迎のニュースのように思えるだろう。しかし果たしてそうだろうか?

多くのニュースサイトで見られるのが「知財流出」という表現。知財という言葉は、多くの内容を包括しているのでどうしても意味がぼやけてしまう。実は「知財」という観点からすると、ソースコードをオープンにするだけでは何も失わない可能性すらある。なぜか?

我々が一般的に知財と呼ぶものには、実は次の3つの異なるもの含まれている。
  • 著作権
  • 特許
  • 商標
今回の件は「知財」を、これら3つについて細かく分析しないとどれほどの影響があるのかは分析できない。

まず第一に、ソースコードをオープンにすることで影響を受けるのは前者2つだけであり、商標は一切のダメージを受けない。オープンソースにしたところで登録された商標を誰もが使ってもいいというわけではない。商標とはいわゆるトレードマーク、ロゴなどのことであり、即ブランドイメージに繋がるものである。例えばMySQLは現時点ではSun(もすぐOracleになるけど)の商標であり、MySQLのマスコットと言えばイルカのキャラクターであるが、Sun以外の誰かが自由にあのイルカを自分の商品などに描写したり、MySQLという単語を商品名などに含めていいわけではないのである。商標の利用は、持ち主であるSunとSunが認めたパートナー企業などだけに限られるのである。例えばMicrosoftがイルカのキャラクターを使えば、Sunに訴えられることになるのである。(ちなみに、余談であるがあのイルカの名前はSakilaという。)商標がなければビジネスがやりにくいのはおわかり頂けるだろうか。

次に著作権について考えよう。著作権は、ソフトウェアのソースコードだけでなく様々な著作物に対して与えられるものである。著作権は人の如何なる著作にも発生する。文章でも、絵でも、写真でも、漫画でも、映画でも、Webコンテンツでも、そしてプログラムでも。例えば写真を撮り、Webにアップロードしたとしよう。その写真は撮影者によりコピーを認められてなかったとする。すると、その写真をコピーする行為は著作権法違反に当たる。平たく言うと、著作権とは「人の創作物を勝手にコピーしちゃダメよ」という法律によって守られた権利なのである。つまり、ソフトウェアの場合、いくらソースコードがオープンだったとしても、コピーが認められていない場合に勝手にコピーをすると著作権法違反になってしまう。一般的に流通しているオープンソースソフトウェアをコピーすることが出来るのは、そのソフトウェアに付与されたライセンスによってコピーが認められているからに他ならない。従って、ソースコードの開示をしたところで、ソースコードのコピーが認められていなければ、何も失うものはないのである。勝手に人の著作物をコピーする行為を盗用という。小説などでもたまに盗用がバレてニュースになっているのを見かけるが、ソースコードの盗用も犯罪(著作権法違反)なのである。従って、ソースコードの開示を義務付けられた場合には、お互いのソースコードに目を光らせて、盗用がないかどうかを監視し合うようになることだろう。(他人のソースコードを読む機会が増えるので、これは開発者にとっては良いトレーニングになるかも知れない。)

そして特許である。特許とは、アイデアを他人から使われないようにするための仕組みである。あるアイデアを特許として登録しておけば、他人がそのアイデアを勝手に使うことを許さないというものだ。ただしアイデアといっても何でもかんでも登録できるわけでなく、新規性があったり、アイデアが有用であると認められた場合に登録が認められる。ソフトウェアの場合はソフトウェアのアルゴリズムやファイルフォーマットなどが特許の対象となる。(ソフトウェアにかけられた特許はソフトウェア特許と呼ぶのだが、これは本当に厄介なものであり、社会の発展を阻害する要因にしかならない。ソフトウェア特許がもたらす弊害については、別の機会に説明しようと思う。)同じアルゴリズムを使ってソフトウェアを書くことが出来ないというのは、非常に困った話である。例え別のプログラム言語でソフトウェアを書いたとしても、同じアルゴリズムを使っていれば訴えられることになるのだ。まったく盗用などしておらず、たまたま思いついたアルゴリズムが他人の特許に抵触してしまっていたら、それでアウトである。そしてもちろんオープンソースにしたところで、そのソースコードに含まれている特許は無効にはならない。中国企業が取得している特許の数は、他の先進国と比べて圧倒的に少ないだろう。中国では国内の企業であってもソースコードを開示しなければいけなくなるから、中国企業は諸外国の企業からの厳しい監視にさらされ、くまなく特許に違反していないかどうかをチェックされるようになってしまうことが予想される。もしかするとかなりの特許侵害が見つかる可能性もあると踏んでいる。そうなると中国のIT企業は何も活動することが出来なくなってしまうだろう。

以上のように、ソースコードを開示しなければいけなくなったとしても、先進国各国の企業側には失うものはそれほどない。中国がどのような形でソースコードの開示を求めているかは知らないし、記事には書いていないので分からないのだが、ソースコードをどのようなライセンスで開示するかということが非常に重要になのである。ただのソースコード開示だけではなく、著作権や特許にまで踏み込んだ制約がなされていれば、先進国各国の企業が失うものが大きいと言えるが、単なる開示だけであればそれほど心配は要らないのではないだろうか。それよりも、ソースコードが開示されたことによって、企業同士がお互いのソースコードに監視の目を光らすようになり、盗用や特許侵害などによって起訴が起きやすい世の中になったら嫌だなあと思う。起訴合戦ならば資金を持っている企業が勝つのであり、中国企業にとっては分が悪い勝負になるだろう。従って、ソースコードの開示を求めた結果、中国は何も得られないばかりか返って起訴のリスクというマイナス面ばかりを負ってしまうことになる可能性すらある。

そうすると、中国の立場からすれば、著作権と特許による制約を回避できるような条項を盛り込めばいいことになる。例えば、ただ単にソースコードの開示を求めるだけでなく、ライセンスをBSD、MIT、GPLのうちのいずれかにしなければならない・・・といった条項だ。しかし流石にそこまでの条項は先進国各国の企業の猛反発を受けることになるので、法律の制定が出来ない公算が高いだろう。よしんば法律を制定出来たとしても、プロプラエタリなソフトウェアを販売している企業は、中国市場でのビジネスから手を引くことになるかも知れない。その結果、中国はITのガラパゴス諸島になってしまう可能性もあり、それは中国の国益を損ねてしまう結果になるだろう。

ただし、現時点でオープンソースソフトウェアでビジネスをしている企業にとっては、それこそ失うものは何もないのでいくらでも中国でソフトウェア(またはそれに纏わるサービス)を販売することができる。そうすると中国は、ガラパゴス諸島ではなくフリーソフトウェアとオープンソースソフトウェアの楽園になるかも知れない。

そんなわけで、ソースコードの開示要求は、中国にとって不利な結果に終わるかもしれず、ソースコードの開示以上のものを求めるのはさらなる反発を受けるので成立しない公算が高い。従って、中国はもう一度考え直したほうが良いんじゃないかと思う。もしITの分野において中国政府が中国国内の市場において何らかの制約を加えるのであれば、ソースコードの開示ではなく「ソフトウェア特許を一切認めない」という法律の方が良いと思う。もちろん現時点でソフトウェア特許を保有している企業はそのような法律には猛反発することになるだろう。もしかするとソースコードの開示よりも反発が大きいかも知れない。しかし、ソフトウェア特許を認めないようにすれば、中国の企業が国内で特許侵害によって訴えられるというリスクは少なくとも排除することが出来る。起訴にかかる費用は手間は、これから成長しようとしている国にとっては大変なリスクであるので、これを排除できるメリットは大きい。

逆に、諸外国からすれば、ソースコードの開示義務は、今後すさまじい勢いで成長を遂げるであろう中国企業各社をたたき潰す絶好の口実を与えてくれるチャンスにすらなり得るのである。もし、中国政府が求めるのがソースコードの開示だけなのであれば、それに従ってみるのも一つの戦略である。ソースコードの開示以上のことを求められたら、その時は何が何でも反発する必要があるだろう。ただし、叩き潰される可能性があるのは何も中国企業だけだとは限らないので注意が必要である。ソースコードが開示されると先進国各国の企業同士でつぶし合うことになるという可能性も考えられるからだ。特に、中国企業を完膚無きまで叩きのめしたあとは、前述したように著作権および特許の侵害による起訴合戦が待ってるかも知れず、ソフトウェア開発は非常に高コストな産業になってしまう可能性がある。

先進国各国の企業に残されたもう一つの選択肢は、中国市場から撤退することである。ビジネスの機会は減ってしまうかも知れないが、ソースコード開示による起訴合戦のリスクから逃れたいのであれば、撤退も十分考慮するべきである。勝手な想像であるが、もしかするとGPLソフトウェアのソースコードをこっそり流用しているプロプラエタリなソフトウェアがこの世には結構たくさん存在するのではないかと予想している。「バレなきゃいい」という考えに従って違反行為をしているというわけである。そんな企業にとっては、ソースコードの開示はFSFからの起訴に繋がる空恐ろしい行為であるので、中国市場からの撤退が懸命な判断となるだろう。しかし、下手に撤退してしまうと、撤退したことによって「あいつはGPLからソースコードを流用してるぞ!」などと噂されるかも知れない・・・などと想像してしまうわけであるが、あんまり先の先のことまで予想しまくるとキリがないのでこの辺にしておく。

それにしても「知財」という言葉は恐ろしい。著作権、特許、商標の区別がなければ、こういった分析は一切出来ないのであり、「とにかく知財流出の恐れがあるから何でも禁止だー!」という風にワケも分からず反対してしまうだろう。「知財」という言葉を使うべきではないということは、リチャード・ストールマンも言っている。その方が問題の焦点をぼやけなくすることが出来るので、本当に「知財」について考えたい人は「知財」という言葉の使用を避けたほうがいいだろう。これら3つを「知財」と呼ぶのは人体の不具合をすべて「病気」と呼ぶのに似ている。もし、医師が全ての病気を単なる「病気」と呼んでしまったら、症状の的確な診断が行えないので、どのような病気も治らないだろう。症状を病名で区別して初めて適切な処置ができるというものだ。同じように、「知財」に関する問題は、正確にそれぞれ著作権、特許、商標の3つに分けて考えてこそ、問題の解決に繋がるのである。ちなみに、これら3つはそもそも別々の法律、つまり著作権法、特許法、商標法によって運用されている。法的な観点からも、これらを一緒くたに「知財」として思考停止してしまうのは、知らず知らずのうちに違反行為を犯してしまう可能性を孕んだ危険な行為なのである。

最後に結論であるが、このニュースは「フリーソフトウェア支持者またはオープンソース支持者にとって歓迎すべきか?」というと、かなり微妙であるというのが俺の個人的な見解である。

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