まずひとつ言えることは、もし仮に新労働制度が成立されても、それは企業が社員を酷使あるいは搾取するような仕組みであってはならないということだ。そのような制度になるなら、新労働制度など設けるべきではないだろう。
新労働制度の問題点については、既に過去2回(その1、その2)で語ったが、今日はさらに突っ込んだ議論をしてみたいと思う。
労基署がフォローできる仕組みは必須
企業が社員を酷使あるいは搾取してはならないということは、労基署がしっかりと監視・監督をできるような仕組みでなければならないということだ。そのためには、少なくとも明確に成果を定義し文書で残すことを義務付けなければならないだろう。新労働制度は成果に基づいて、社員を残業代と関係なく働かせるというものだから、成果が何かという数値的・具体的な目標がなければ適用できないはずである。その上で、労基署はその合意した成果が何であるか、常識的な基準において、適切な時間内に終わるような要求であるかということを確認しなければならない。制度の悪用や、過度な要求が認められた場合には、企業側にペナルティを与え、社員を守るような仕組みが必要だろう。
職務の内容によっては、成果主義が全く適さないケースもある。例えば、夜行バスの運行の場合、社員がどれだけ頑張っても2地点間を運行するには一定以上の時間がかかる。社員ができるだけ短時間で職務を果たそうとすると、高速道路を法定速度以上で爆走する必要があり、企業が法律違反を推奨するようなものになりかねない。
成果以外の指示を禁じるべき
雇用側と非雇用側が成果に対して合意し、互いにコミットしているのなら、それ以上の要求をしてはならないのが筋である。企業が要求して良いのは成果だけであり、それ以上でもそれ以下でもダメだ。したがって、どうとでも受け取れるような成果、例えば企業の成長に貢献したというようなものや、柔軟な対応が必要な成果、例えば店の売上を○○%アップするといったものは年収300万円の社員に課すべきではない。もしそのような曖昧な目標を許してしまうと、社員は何でもやらないといけなくなってしまう。それに、そのような目標は経営者や幹部がコミットするべきものであり、年収300万円のヒラ社員が請け負うべきものではない。当然ながら、「成果以外の要求」には時間で拘束するのも含まれる。もし、成果以外の要求がなされた場合には、労基署が企業を指導・是正させねばならない。
成果主義と言いながら、実際にはそれ以上のことを要求し、時間で拘束しているとしたら、成果主義は有名無実と化してしまうだろう。そのように、企業にとってだけ都合が良いような制度にしてはならない。
幹部候補という曖昧な定義はやめるべき
議論の中では再三幹部候補という言葉が出てきているが、これは法律の中に盛り込むべき単語ではない。定義が曖昧だからだ。そもそも、幹部候補と言っても、将来に対する具体的な約束は何もない。もし、幹部にしたい人材が居ると企業側が判断したなら、幹部候補ではなくちゃんとした幹部あるいは管理職にすべきである。正当な対価を支払った上で柔軟な働き方を要求すれば良い。もしその社員が思うような人材ではなかったというのであれば、降格あるいは配置換えをすれば良い。
そのような運用は確かに企業にとってリスクがあるのかも知れない。だが、将来を約束されない幹部候補などという肩書きで、残業ゼロの無制限で働くということは、社員にとってもリスクである。社員個人はリスクを背負わされても良いが、企業はリスクから逃れても良いという道理はない。雇用においては雇用側、非雇用側にリスクがあるのは当然である。企業だけがリスク逃れをするような制度を設けてはならない。
もし仮に、どうしても幹部候補という言葉を使うなら、候補になったら3年以上連続で目標を達成できた場合には幹部にしなければならないなどの明確な定義が必要だろう。また、幹部候補というぐらいなのだから、幹部になってもおかしくない人材だけを対象にすべきである。企業が残業代カットを目的に、猫も杓子も幹部候補にするといった状況は避けなければならない。そういった意味では、企業における幹部候補の割合の上限を定めておくというのが一つの落とし所にはなるかも知れない。幹部になるような人材なのだからほんのひと握りのはずである。例えば5%といった数値だ。あるいは幹部の半数というような定義でも良いかもしれない。
こういった人数の割合という話になると中小企業には向かない制度かも知れないので、幹部候補という定義を用いて良のは大企業に限定するといった制限は必要だと思われる。
駆け出しの若者は除外すべき
これは何故かというと、駆け出しの若者はまだ実績もコネも後ろ盾もなく、交渉する力がない場合が多いと考えられるからである。そのため、雇用する側に良いように使われてしまう恐れがある。つまり、新卒の若者に、有無を言わせず新労働制度を選択させるというような状況だ。労働者に選択肢があってこその労働制度なので、強制的に選択が迫られるような状況は避けなければならない。素晴らしい制度だというのなら公務員にも適用を
トゥギャッターの中で三宅議員が言っているが、「生産性が上がる素晴らしい制度と言うなら企業だけでなく公務員にも残業代ゼロ制度を導入すべき」というのは本当にその通りである。確かに公務員には新労働制度に適さない職種はたくさんある。例えば窓口業務、警察官、消防官、教師といった時間的に拘束されることが必要な業務である。(教師が授業時間に拘束されるべきではなかったら、学校は自習だらけになってしまうだろう。)だが、キャリア官僚はそうではない。残業が多いハードワークだというのは承知しているが、キャリア官僚は企業で言えば幹部にあたる。成果が問われる分野であると言えるだろう。(そもそも省庁は何ら数字にコミットしておらず、結果に対して責任を負っていないので、キャリア官僚個人に対して成果を要求する以前に、省庁が目標設定をして、結果をレビューされるような仕組みが必要ではないだろうか。)
もしそれが難しいというのなら、被雇用者にとっても大変厳しい制度であることを理解して頂きたい。
まとめ:残業代カットを目的にするべきではない
新労働制度については色々と言いたいことは他にもあるが、声を大にして言いたいのは企業が残業代をカットするということを目的にした制度であってはならないということだ。確かに成果に対して互いに合意するような雇用形態があっても良いかも知れない。だが、これは極めて恣意的な解釈が可能であり、企業が悪用しやすい制度であると言える。そのため、労基署による監視・監督がきっちりと機能し、成果以外の要求がなされず、労働者が守られるような仕組みになるよう、慎重に議論しなければならないだろう。経済界や政権の都合で決めて良い話ではないのである。もし安倍政権と自民党が新労働制度を強引に押し進めてしまったら、我々はそのことを決して忘れてはならない。記憶を風化させてはならないのである。
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