野次に野次で返してどうする。
多くの人がお祭り騒ぎで叩きまくっているように見えるが、そろそろ止めにしたらどうだろうか。失言のひとつがその人の人格の全てを表すわけでもないので、失言をもってその人の全人格を否定するのは間違いである。責められるべきは失言のほうであり、(多くの人は会ったことすらないであろう議員の)人格を否定するのは行き過ぎだろう。
相手の尊厳を傷つけるような言葉を投げかけてはいけない。これは近代的な社会において共有される普遍的な価値観である。
確かに野次を投げかけ、騒動のきっかけを作ったのは鈴木都議である。それは塩村都議の尊厳を大きく傷つけるものであった。そういう意味では、あの野次は見過ごすことのできない失言であるといえる。
だが失言は失言。人格は人格。この二つは明確に区別する必要がある。
必要以上に叩くのは不当な野次を飛ばすのと何ら違いはない。野次は大勢に紛れて、誰が言ったのかは容易に判別することができず、それを利用して人の尊厳を傷つけるのは極めて卑怯な行為であると言える。だが、ネットで匿名で他人を罵るのも、まさに野次と同じ卑怯な所業である。自分は大勢に紛れることでリスクを取らず、相手にダメージが与えられるという構図が同じだからだ。
自ら同じような失言をしないように気をつけたいものである。
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