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2010-11-17

オープンソースの道 〜 よりよい社会を育てる方法 〜

最近、自治体においてオープンソースソフトウェア(以下OSS)を採用する例が増えてきたように思う。(注1)ニュースに上がったものだけでも、次のような例がある。
ニュースになっているのはOpenOffice.orgやGNU/Linuxであるが、採用に至った主な理由はOSSにするとコストが下がるからであると記されている。確かにOSSはタダだ。商用で提供されているものもあるがタダでオペレーティングシステム(以下OS)やオフィスソフトのように人数に応じたライセンスが必要なものは、そのライセンスコストだけでも相当な額になる。しかも古くなってソフトウェアを更新するたびにライセンス料金が発生してしまう。それがタダになるのは確かにメリットがある。

ここでひとつ疑問が生じる。OSSはタダで配布されているが、開発者の給料はタダではない。現在OSSの恩恵を謳歌しているユーザーはこう不安に思うかも知れない。「もしかしたら今使ってるこのOSSは今後使えなくなってしまうのでは?だって開発者はどうやって食ってるのか分からないから!」と。OSSをどうやって育んでいくかは、OSSのメリットを理解している人にとって興味のある事柄であろう。そこで、今日はどうやってOSSの発展に貢献できるかということについて、論じてみようと思う。

OSS開発者は霞を食っているのか。

OSSは無料だ。無料のソフトウェアを開発しても収入は得られない。だったらOSS開発者はみんな霞を食べて生きているに違いない。そう考えてしまうのはある意味自然なことである。

だが、この世に霞を食って生きていける超人などは存在しない。誰しも衣食住が必要であり、健全な社会生活を営むにはお金が掛かる。OSSはタダだが、その開発者の生活はタダでは出来ないのである。じゃあOSS開発者はどうやってお金を稼いでいるのか?というと、それには大きく分けて2つのケースが存在する。

ひとつは、OSS関連ビジネスで儲けている場合である。筆者が生業としているMySQL(オラクルの一部門)もそうであるし、DR:BDのLinbit、LinuxベースのOSのディストリビューターであるRed HatやCanonical、ビジネスソフトウェアのSugarCRM、最近話題に上ることが多くなったNoSQLのひとつ(ドキュメント型データベースの)MongoDBなどである。これらのソフトウェア企業は、自らOSSを開発して顧客に有償でサービスを提供することによって利益を上げている。(またはベンチャーキャピタルから融資を貰っている。)黒字になっていないところもあるだろうが、それでも潰れていない以上、OSS開発者には給料が支払われているのである。

もうひとつのパターンは、OSS開発者が企業に雇われているというものである。Linuxカーネルの開発者の多くは、IBMやRed Hat、日立などに所属しており、その企業が開発者に給料を支払っている。企業が戦略的にOSSを活用するためにパトロンになって社員にOSSを開発させているのである。OSSで直接利益をあげる必要のないWeb企業も、同様にR&Dの一環としてOSS開発者を抱えていたり、自社で開発したソフトウェアをOSSとして公開する場合がある。例えば、GoogleはMozcやChromium、Perftools、Androidをはじめ、数えきれないほどのOSSを公開しているし、最近話題沸騰中のNoSQLは各社がこぞって公開している。(例:handlersocketプラグイン/DeNA、Cassandra/Facebook、kumofs/えとらぼ、Flare/グリー、ROMA/楽天)また、多くのWeb企業で活用されているTokyoTyrant、TokyoCabinetは、ミクシィに所属していた平林幹雄氏が開発したものだ。

平林氏は現在ミクシィを退社して、独立して事業を立ち上げようとされている。実はミクシィは著作権を個人に帰属させてもOKということにしていたらしいので、平林氏は現在TTやTC、KCなどの著作権を引き続き利用することが出来るというワケだ。平林氏の今後の発展と成功を願うと共に、エンジニアに選択肢を与える勇断と大きな社会貢献をしたミクシィにも拍手を贈りたいッ!

OSSに投資しよう!

「お金を払う」ということは、単に「消費する」という意味だけでなく、相手に「投資する」ということに繋がる。特にソフトウェアの場合、そのバイナリを電子コピーするコストはとても安いか限りなくゼロに近い。コピーを提供してもベンダーは何ら出費をしないのである。出費もなければ在庫も必要がない。つまり売れれば売れるだけそっくりそのまま利益になる。ソフトウェアのライセンスやサブスクリプション、サポートなどを購入するということは、そのソフトウェアへ投資するという意味合いが大きいのだ。

従って、OSS関連サービスにお金を払うことはOSSへの投資となり、OSSの発展に直接繋がる。OSSのを開発しているのが営利企業であれば、そのサービスを買うことによって直接そのOSSへ投資することが可能なのである。例えばMySQL、SugarCRM、Canonical、MongoDB、RHELなど。一般的に、こういった企業はデュアルライセンス、構築サービス、トレーニング、サポートなどを提供しているので、そのOSSの将来に投資をするつもりでサービスを購入するというわけだ。

そのOSSが開発した企業のビジネスと直接関係しない場合(例えばhandlersocketプラグインなど)は、OSSへ投資する仕方が違ってくる。もっともオーソドックスな投資の方法は、自らもその開発に参加することだ。つまり、ソースコードを提供することでOSSへ投資するのである。プログラムを書くには時間を消費する。時は金なり。そのコード、プライスレス!!

「そのOSSを活用しているけどもっと改良したい!だけど自分ではソースコード書けないよ!」という場合には、そのOSSの改造してくれる人にお金を払うという手段もある。企業のIT部門であればそのようなニーズもあるだろう。その場合、開発者本人に依頼をしてもいいし、受託してくれる業者があるなら相談してみるのも良いだろう。また、もっと戦略的にそのOSSへ投資したい場合には、そのOSSの開発者を雇ってしまうということも考えられる。例えば、Rubyに投資したいがためにRubyのコミッタを雇うという具合だ。そう、まさに中田氏を採用したクリアコードさんのように。(栃木県小山市にほぼ専用のオフィスまであるVIP待遇だ!)

また、企業のIT部門にとっては、今どのようなソフトウェアを調達するかということは、将来への投資であると見なすことが一般的だ。今使っているシステムがどのようなものであるかということにより、次に調達するべきシステムもある程度決定される。だから、今何をチョイスするかということは非常に戦略的な判断が求められる「投資」なのである。つまり、ソフトウェアやサービスにお金をかけるというのは、企業にとっては将来への設備投資なのである。初期投資にある程度お金がかかっても、OSSを選択しておけば将来出費するべき金額は抑えられる公算が極めて高い。いったん選択したソフトウェアは将来にわたって使いたいのがユーザーの常である。そのためには、そのOSSを開発している企業(もしくはその事業)が継続しなければならない。だからお金を払うべきなのだ。

企業がOSSを調達するということは、その企業のIT戦略にとってもOSSにとってもまさに「投資」なのである。

寄付

OSS開発者に直接、あるいはより直接に近い形で資金を提供したいのであれば「寄付」という手段を検討しよう。「こんな予算の厳しいときに寄付なんて!?」と思われるかも知れないが、OSSに寄付するのは投資であると考えることが可能だということを筆者は主張したい。投資であれば将来リターンをうけとれるはずであるが、当然ながら寄付のために支払った金額が金銭として返って来るわけではない。じゃあ寄付が投資とはこれ如何に!?と読者諸氏は思われるだろう。

確かに直接的な金銭の見返りは見込めないのだが、OSSが発展することで将来自分にメリットが戻ってくるということを忘れてはいけない。メリットは例えば次のような形で表れるだろう。
  • 将来支払うべきライセンスコストが下がる。(OSS実装がなければ5万円払うところが5千円の寄付で済んだ!という場合など。)
  • 特定のOSSを将来に渡ってサポートしてもらえる。
  • 大好きなソフトウェアに便利な機能が追加される。
もちろんたった一人の寄付では大きな金額にはならないため、大した発展は望めないだろう。だが、大勢から寄付が集まれば事情は異なる。だから自らがOSSへ寄付を行い、そしたら他の人にも寄付を勧めよう。個人ではなく企業や自治体が寄付を行えばもっと効果的だ。個人よりもずっと大きな金額を払えるからだ。OSSを活用している自治体が増えてきたことは冒頭に述べたが、そのような自治体であればOSSへの寄付をする意義は大きいだろう。

じゃあどこへ寄付すればいいの?それは自分が好きな、あるいは将来に渡って使い続けたいソフトウェアに!例えば次のようなものだ。
etc etc...
手始めに、$10でいいので自分の好きなプロジェクトに寄付してみよう。ひとつひとつの金額は少しでも寄付が積み重なればきっとOSSの発展に役立つはずである。自分の好きなものにBetする。それは何とも民主主義的な行動ではないだろうか。

もし寄付する先を絞れない場合には、フリーソフトウェア財団の会員になるのもいいだろう。フリーソフトウェア財団の会員になれば、その会費は巡り巡って開発者のもとへ届けられたり、フリーソフトウェア財団の活動費へと必要に応じて充てられる。きっと有効活用してくれるだろう。なお、フリーソフトウェア財団では現在フリーソフトウェア実装が存在しない分野に絞った寄付を募っている。より直接的に、活発に活動している開発者へ寄付を行いたいのであれば、この活動を支援するのもいいだろう。(注意:筆者は単なる会員であって、フリーソフトウェア財団に属しているわけではないので勘違いのないよう願いたい。)

High Priority Free Software Projects
http://www.fsf.org/campaigns/priority-projects/

OSSのプロジェクトページには、多くの場合寄付する窓口が儲けられており、PayPalで支払いを行うことが可能になっている。(DonateやSponsorという記述を探そう。)面倒な送金処理が発生するのでは寄付をする気は失せてしまうだろうが、窓口はすぐに見つかるし支払い方法もPayPalで簡単そのものなのだ。もしPayPalの口座を持っていない人はぜひ作成しておくといいだろう。PayPalは便利なものだ。寄付以外の用途にも色々と役立つだろう。

想像してみて欲しい。OSSが発展した未来を!高いライセンス料に頭を悩ませる必要がない世の中を!寄付は余裕のあるときだけで良い。苦しい時に大金を巻きあげられなくて済むのである。もし少しでも余裕があるのなら、そしてOSSがもっと発展した未来を確実なものにしたいなら、僅かなお金で良いので寄付をしようではないか。得体の知れない募金よりも、ずっとあなたが望む将来を実現するのに役立つだろう。

国や自治体がOSSへ貢献することの妥当性

自治体がOSSへ投資する際に反対派がよく言うのが、

「誰が使うとも分からないものに市民のお金をつぎ込んで良いのか!?」

というものだ。A市が調達したものは全てA市の市民のものなので、多の市の人のために役立てるべきではないという主張である。だが、そのような主張は当然間違っている。

道路は自治体が建設するけど誰でも通れる。

日本全国津々浦々、県道、市道は数多くあるけれど、その住民だけが通って良いという道路は存在しない。なぜ?それはもちろん他の地域に住んでいる人が道路を活用したほうが、双方にメリットがあるからだ。道路を通るよそ者にも、道路を建設した自治体にも。その道路を通って人々が交流すれば、そこでは活発な経済活動が起こるだろう。当然その地域の利便性向上にも寄与するだろうが、道路があることによってその地域が潤うという効果もあるのだ。

OSSはIT産業の道路になり得る存在だ!自治体がソフトウェアを発注し、納品されたソースコードをOSSとして公開したとしよう。誰が使っても良いことにするのだ。まさに道路のように。すると隣の市がそのソフトウェアを使いバグ情報やノウハウを共有する。それだけでもそのソフトウェアの品質向上に繋がり双方メリットがあるだろうが、さらに別の市がそのソフトウェアを拡張するかも知れない。そしてまた別の市がさらに拡張をして、そのまた別の市が・・・という連鎖が起きるだろう。自治体という点と点がOSSという道路で繋がるのだッ!まさにオープンソースの道である。

道路が出来ればその周辺は発展する。OSSの開発・改良を継続的に行うベンダーでそこは賑わうだろう。賑わえば賑わうほどにソフトウェアは改良され、誰でも利用できるOSSとして世の中の役に立つのだ。そして社会全体が豊かになる。それが公共事業の本来あるべき姿ではないだろうか!OSSという道を作ることで賑わうッ!豊かになるッ!OSSで町おこしだ!と言えよう。

OSSの道には独占はない。誰でも参加できるし、大小様々なプレイヤーが対等に競争することになるだろう。ベンダーにとって、そのようなビジネスでは大豪邸が建つような大儲けは出来ないかも知れない。だが、一部の成功者だけが豪邸が建つほどの利益を上げる世の中と、業界全体が賑わい、社会全体が豊かで活発な世の中とどちらが良いだろうか?よく考えてみて欲しい。どちらの社会のほうが幸せだろうか!?

IT立国

賭けても良い。オープンソースに否定的な人の中にはこういうことを言う人が絶対に居る。

「ソースコードを公開したら外国に真似されるので国益を損なう!」

と。

その仮定はIT以外の分野では正しいかも知れない。だが、ITにおいては「真似をされると損」というのは誤った認識である!と俺は断言する。

むしろ海外の人たちにもどんどんとOSSを使わせればいい。何故か?理由は2つある。ひとつは、オープンソースであれば誰でも改良することができるので、海外の人が行なった改良を享受できるということがある。オープンソースは参加する人の数が増えれば増えるほど改良やノウハウの蓄積が期待できるので、より多くの人に使ってもらったほうがユーザーの利点は大きくなる。もうひとつの理由は、日本発のソフトウェアが海外で使われる意義はとても大きいということだ。いくらソースコードがOSSとして公開されているとは言え、先駆者こそがそのソフトウェアの改良においてはアドバンテージを持つ。そのソフトウェアが世界中で普及し、デファクトスタンダードとなることを想像してみて欲しい。そのとき開発で優位に立っているというのはどれほど大きな意義があるかをッ!

つまり、ITは真似されてナンボの世界でなのある。どんどんOSSを公開して日本発のソフトウェアを世界標準にしようではないか!

協調の世界へ!

今は、多くの企業や自治体がオープンソースの利点には気づいているが、自らがソフトウェアを共有したり投資することのメリットにまだ気づいていない状況だと思う。オープンソースに独占はない。ソフトウェアを「共有しない」ことはライバルを助けることにならないが自らそれによって利点を得られない。ソフトウェアやノウハウを公開し、それがライバルに利用されても先駆者としてのアドバンテージは必ずあるし、誰かが機能を追加したり改良をすれば自分の元へ利益が戻ってくるのだ。

業界全体で高いコストを支払うか。それとも共有することで全体的なコストを下げるか?

どちらが良いかは自明ではないか?OSSを使おう。OSSに投資しよう。OSSにコミットしよう!!

共通のソフトウェアを共に育てる。ライバル同士が殴り合うのではなく共に業界を発展させるのだ。それがオープンソースの力であり、本来社会が目指すべき姿なのだ。


注1:フリーソフトウェアといいたいところだが、OSSとフリーソフトウェアはオーバーラップしている部分が大きいし、今回はOSS的開発手法に主眼を置いた話なのでOSSという表現を用いる。だが、もちろん筆者はフリーソフトウェア万歳だ!

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