一見もっともらしい意見のようだが・・・
結論から言おう。単に与えられた命令を淡々と実行するのは当たり前。それは「仕事をしてる」ことにはなっても、「仕事がデキる」ということではない。仕事で先を読むなどということに挑戦するのはまったくの無駄骨にしかならない。
では「仕事がデキる人」と「仕事をしてる人」の違いはどこにあるだろうか。
僕はこれを「先読み能力」の違いだと思った。
そもそも、ルーチンワークでもない限り、物事の先を読むというのは非常に難しいか、もしくは不可能である。ルーチンワークであれば段取り通りに仕事を進めていくだけなので、次にどうするかということは誰でも分かる。そう、コーラを飲めばゲップが出るのが確実というぐらい確実なのであるッ!プレゼンなども場数を踏むことで様々なノウハウやテクニックを身につけることが出来るのだが、そういうノウハウやテクニックというものは、決して「先読み」の結果出来るものではなく、ルーチンワークのように繰り返し繰り返し身につけたものなだ。知っているから出来る。繰り返し身に摺りこんでいるから出来る業なのである。
一方、世の中は何が起きるか分からない。全く予想だにしなかったことが次々と起きる。俺自身、MySQL KKに転職してから2度も買収劇と付き合うことになるとは思ってもみなかったし、このように円高になるということも予想していなかった。オバマ政権下において民主党が選挙で大敗するということも予想していなかった。ビジネスや経済はカオスであって、特に予想を立てるというのが難しい世界である。短期的な予測なら「身につけた業」で何とか出来るかもしれないが、中長期的な予測は限りなく不可能に近い。中長期的な予測が可能であれば、株の必勝法も実現可能であろう。だが、株価の予測が極めて困難であることは、多くの人が知る事実なのである。そのような舞台では、いくら「先読み能力」があっても役には立たないだろう。
僕はこの「仕事がデキる人」にある種の共通点を見つけた。スポーツで身につけた「先読み能力」が株価予想で役立つだろうか?ライバル企業が仕掛けてくる罠を見破るのに役立つだろうか?
ゴルフやバスケットボール、テニス、釣り、囲碁、将棋など、仕事以外にきちんとした趣味を持っていて、なおかつ強いということだ。
スポーツやゲームで強くなるためには、先読みの能力が不可欠だ。
見てる世界が違う!
俺は社会人になってからずっとサポートを生業としているが、サポートという業務においても出来る人と出来ない人では決定的な開きがあるということを嫌というほど見てきた。コンピュータのサポートという職種では、トラブルが起きたときに呼ばれて対処することがとても多い。そこで、OSのsyslogなどを見て診断を行うのだが、ログの解析というのは人によってその結果に差が出やすい領域なのである。それはなぜか?答えは簡単。同じログを見ても、人によって知り得る情報量に雲泥の差があるからだ。
syslogなどのログは素人が見ても呪文のようにしか見えないシロモノだ。その意味を読み取るには専門性が必須である。経験的にログの意味を知っているエンジニアは、「このエラーが出ているときはこういう対処をしなければいけない」ということをログから読み取るだろう。さらに一歩進んで、OSのカーネルやエラーを出しているプログラムについての仕組みを知っている人は、「なぜこのエラーが出たのか。予防するにはどういう対処が必要なのか。」ということをまでをも判断出来るだろう。
即ち、その人のレベルによって同じ情報を見ても、見えるモノが全然違うのである。「先読み」ではなく、それ以前に「現状の把握」が大事なのだ。
例えば、元記事には次のようなエピソードが紹介されている。
あるとき、とても難しい契約の交渉ごとをしていた。先方の出した条件が厳しすぎて、それを引き受けるべきかどうか躊躇した。僕はヤケクソになって「もうそれでいいかな」と妥協しようとした。ところがある人が、「いや、この契約はどう考えてもおかしい」と言い出した。「この契約はどう考えてもおかしい」という気づきがあるかどうかということが、そもそも仕事が出来るかどうかの違いなのだ!!と俺は考える。その後の行動は、知り得た情報から現在の状況を分析した結果選択されたものでしかない。置かれた状況さえ把握できれば、後は詰将棋のように淡々とやるべきことを実行するだけなのだッ!
「おかしいのはわかっている。けれども、いろいろなシガラミでこの仕事を断るわけにはいかなくなっているんだ」
と僕は弁解したが、彼は納得しなかった。
それから彼は弁護士事務所と相談して、過去の裁判の判例を徹底的に調べた。その結果、過去の判例から、この契約条項は事実上無効であると主張し、最終的に先方が絶対に飲もうとしなかった契約を認めさせてしまった。僕はその手腕に舌を巻いた。
視覚野と予測
ここで少し視点を変えてみよう。多くの人が誤解していることのひとつに、視覚の仕組みに関するものがある。博識な人であれば、視覚から得た情報がどのように脳内で処理され、物体を認識するに至るかをご存知であろう。視覚は、眼から送られてきた画像を解析した結果、その物体が何であるかを認識するのではない。そうではなく、脳はもっと積極的に、その物体が何であるかということについて次々に予測をたて、自分が見ているものとその予測をマッチングしているのである。そして、自らの予測と視覚から得た情報がマッチしたことで、その物体が何であるか(例えば人の顔なのか、パイナップルなのか)という判別が出来るのである。
脳の動きに興味がある人は、ちょっと古いが名著「脳の中の幽霊」などを読むといいだろう。新品は手に入らないが、古本であればアマゾンで購入可能である。
視覚だけでなく、脳はその他のことについても、基本的に「予測」と「マッチング」を元に動作する。より素早く、より正確に物事を認識するには、脳の、もとい自分の引き出しを増やすしかない。「どれだけ物事を知っているか?」ということが、「どれだけ意味のある情報を識別できるか?」ということに直結するのだ。これは、syslogを見たときに「ログの意味をどれだけ識別することが出来るか?」という問題とまさに同じなのである。同じ文章を読んでも人によって全く得る情報が異なる。元記事の契約書のおかしさに気づいた人のように、引き出しが多くなれば「1を聞いて10を知る」ということも可能なのだ。
まとめ ー 日々己を磨くのみッ!
などと言ってみても、「己を磨くってどうすりゃいいのよ?」ということが疑問として残るだろう。元記事では「動物を調教するように、自分を調教する」とか、「作業の前にまずお茶を一杯」といったノウハウが紹介されている。これらは、自らを研鑽する手法として悪いことだとは思わないし、むしろアリだと思う。ただし、自分を磨くための銀の弾丸などは存在せず、人によって向き不向きがあるだけだ。俺にはきっと「動物を調教するように、自分を調教する」というのは合わないだろう。
日本人にとって鬼門となるスキルのひとつに「英語」がある。みんな本当に苦労しているが、同じ時間をかけて同じメニューをこなしても、同じぐらいスキルが身につくとうことはない。人には適性があるからだ。英語の上達法に定石はない。日々工夫して研鑽するのみなのである。己を知り、自分にあった学習方法がなにかということを模索することが、上達への第一歩ではないだろうか。
では自分についてよく知り、自分にあった学習法を身につけるにはどうすればいいか?俺がオススメするのは、在り来りであるが「本を読む」ということだ。とにかくたくさん本を読もう。そうすれば、その中にきっとヒントが見つかるはずである。
自分が進むべき道が見つかったら迷いを断とう。迷いがあっては物事は上達しないものである。人の知識はなにかベースになるものの上に継ぎ足し、継ぎ足し増強される、いわば連想記憶である。迷いがあってはその土台が揺らいでしまう。
知識ばっかりの頭でっかちでもダメだ。スキルを身につけるには「実践する」ということがとても大切である。実践に裏打ちされない知識など役に立たない。本を読むことで知識を積み上げ、実践で磨くのだッ!どんな本が良いか、どんな実践をするべきかは人によって異なる。それは自分で見つけて欲しい。そして迷いを断ち、人生を無駄にしないように心がけよう。臭いエントリでさらに臭い言い方をすれば「信念をつらぬけ!」ということである。
これらの努力を継続して行うには、健康がとても大事である。栄養のあるものをしっかり食べ、たくさん睡眠時間をとり、健康な状態を保つ。そして日々努力を重ねて己を研鑽する。それが、出来る漢になるための唯一無二のアプローチだと俺は思う。
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