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2013-05-13

環境省がクソのようなガイドラインを策定しようとしている件

今回はコンピューターの話ではないので、興味がない人はスルーして頂きたい。

環境省が地震などの災害時に被災者が避難所や仮設住宅にペットを持ち込むことができるようにガイドラインを作成しようとしているらしいが、いくらなんでもこれは止めたほうがいいのではないか。こんなことを政府が言い出すのは本当に馬鹿げている。環境省には現実が見えていないのだろうか?あんまりにも腹が立ったので問題点を指摘しておきたいと思う。

避難所がどうなるか

最大の問題点は、ペットが持ち込まれた避難所がどうなるかということだ。災害時、避難所はただでさえ人口が過密になる。その上水や食料だって心配だ。人々はストレスに苛まれ、人同士のトラブルも頻発することになる。そこへさらに争いのタネを持ち込もうというのは狂気の沙汰と言える。

災害時、現場はどうだったかはウィキペディアの記事が参考になる。みんな余裕などない。未曾有の災害に遭ったらどうなるかというのは、少し想像力を働かせれば分かりそうなものである。

そもそもペットは飼っている本人以外には迷惑なものだ。泣き声や臭いは不快だし、衛生面でも問題がある。さらに噛み付く危険性だってある。(参考:野犬の群れが襲撃、豪男性2人食べられる)大勢の人、しかも災害で家族を亡くした人たちががひしめき合う避難所にペットを持ち込むのはトラブルのタネにしかならないだろう。ペットを救いたいと思っているのは飼い主だけなのだから。

避難所は人間にとってもストレスだが、事情の分からないペットにとってはもっと耐え難い環境だ。ストレスを感じたペットは普段よりよく吠えるだろうし、神経質になって噛み付きやすくなるだろう。Yahoo!ニュースのコメント欄には、飼い主と思しき人が「このガイドラインは助かる」などとコメントしているものがあるが、正直脳天気過ぎるというか、犬猫の特性を理解しているのか疑わしい。ペットのどこを見て飼っているのだろうか。このような過酷な環境に大事なペットを持ち込めることで喜ぶというのは理解に苦しむ。

アレルギーは命に関わる

避難生活は過酷であり、皆極度のストレスを強いられることになる。避難所にペットの侵入を許してしまうと、アレルギーを持った人のストレスがさらに増すことになる。ストレス程度の症状で済めばいいが、重度のアレルギー反応は命に関わるというのは周知の事実だ。避難所にペットを持ち込ませるというのは、あまりにもアレルギーを軽視し過ぎている。単に猫の毛アレルギーの類だけではなく、喘息やアトピーといったアレルギー性の病気へ悪影響を及ぼす可能性もある。きっと身近にアレルギーを持った人が居なければ分からないのだろう。

環境からの様々な刺激でアレルギーが生じる可能性があるというのは常識ではないのか。「環境省」というからには、環境のエキスパート集団であることを期待したいが、これは本当に「環境」省なのだろうか。環境の名を被った素人集団の間違いではないだろうか。

飼い主のマナー

アレルギーほど重大な問題ではないが、ペットの飼い主は優れたマナーの持ち主だけではないという現実も考慮しなければいけない。飼い主には優れたマナーの持ち主も居るが、そうでない人もたくさん居る。「自分さえマナーを守れば良い」という問題ではない。如何に大半の飼い主がマナーを守っていたところで、少数の割合でもマナーの悪い人が居れば、ペットを飼っていない人がペットによるストレスに晒されてしまう。

フンの放置、マーキング、鳴き声など、特に犬によるストレスというのは本当に迷惑なものだ。フンの放置は論外だと思われるだろう。だが現実には跡を絶たない。スコップ片手に「埋めてハイおしまい」という飼い主はたくさん居る。住宅の壁や電柱はマーキングされ放題だ。本来はマーキングしないようしつけるべきだが、なぜか「マーキングは習性だから仕方がない」というような言い訳がまかり通っており、街じゅう犬の小便だらけになってしまっている。おかげで公園や散歩に程よい小道などは、犬の小便の臭いが立ち込めている。飼い犬にマーキングをさせないようにしている飼い主は、一体何割ぐらい居るだろうか?

話が逸れてしまったが、マナーがなっていない飼い主は一定数居る。避難所にそのような迷惑な連中がペットを持ち込めばどうなるかは分かりそうなものである。

避難所を分ければ良いのか

Yahoo!ニュースには「ペットOKの避難所とNGの避難所に分ければ良い」というようなコメントが目立つ。おいおい避難所はレストランか何かかよ!と突っ込みたくなる。緊急事態がどういうことかを理解しているのだろうか。ただでさえ現場は混乱するのに、ペットを連れた人がペットの受け入れOKな避難所へ、そしてアレルギーを持つ人がわざわざペットの居ない避難所までリスクを犯して移動するなんてことは馬鹿げてる。緊急時にはできるだけ余計なリスクを持ち込まないようにすべきだ。

緊急時には当然食料や水も限られている。何時食料が届くか分からないということもあるだろう。そんな状況下でペットに水や食料を分け与える余裕など果たしてあるだろうか?飼い主の分を分ければ良いという問題ではない。そのせいで飼い主が栄養失調や脱水症状を引き起こせば、周囲に迷惑をかけることになる。(見殺しにできるわけはないのだから。)

そもそも避難所を分けたりペットの食料や水の分のコストは誰が負担するのかという問題がある。飼っていない人が負担する謂われがないことは自明である。

課税すべきか

避難所にペットを持ち込む費用を捻出するためにペットに課税するというのはどうだろうか?それには正直反対である。非常事態の状況は金で改善できるものばかりではない。水や食料は限られてくるし、行き先が見えないことによるストレスは甚大である。家族(ペットではなく人間の)を亡すこともあるだろう。政府は人命を救出することに尽力すべきである。その妨げになりそうな要因はひとつでも取り除かねばならない。「避難所にペット」を持ち込んで良いようにするというのは、政府が果たすべき責任とは真逆ではないか。はっきり言って国民がなめられているとしか思えない。

「どうしても災害時にペットを助けたい」というニーズがあるのなら、民間でやればいいのではないかと思う。ペットというのはごくプライベートな愉しみだ。行政がしゃしゃり出る分野ではないだろう。

ちなみに、災害時の避難所の件とは別に、ペットに課税するのは大賛成である。数多くの(数十万の)犬猫が毎年殺処分されているという現実を考えれば、殺処分をしなくて済む程度の(つまり一生面倒を見られる程度の)税収ができるように飼い主にや業者に課税するべきである。

元から飼わないのがベスト

災害時にペットを置き去りなどの不幸な目に遭わせたくないのなら、元からペットを飼わないのがベストな選択だ。ペットが居なければ死ぬこともない。

そもそも何故ペットを飼っているのか。それは飼い主が「飼いたい」と思ったからだ。誰かに頼まれたわけではないだろうし、現代人の都市型の生活にペットが欠かせないわけでもない。例えば保健所から殺処分になる予定の犬を引き取って命を救った人は偉いと思うし、そういった人にはペットを飼う必然性がある。しかしペットショップで見て「かわいい」という安易な気持ちだけで犬猫を買った人はどうだろうか。それは単にエゴというものだ。そのエゴを通した結果、ペットはいざというとき(災害時等)命の危険に晒されることになる。ペットを命の危険に晒しているのは飼い主以外の何者でもないのだ。

もう一度繰り返すが、ペットの死を見たくなければ単に飼わないのがベストである。飼いたいというエゴを捨て去れば良い。ペットショップの動物は別にあなたを必要としていないのだから。

ペットは幸せか

「ペットは人間に飼われた状態が幸せだから飼うべきだ」というようなことを、以前ツイッターで言われたことがある。避妊手術をしても、エサに不自由なく安心して暮らせれば幸せだと。果たしてそれはどうだろうか。一つだけ言えるのは、ペットが幸せかどうかは人間が判断することではない。ペットにしかそれは分からない。ペットは言葉で意思を表明することができないのだから、ペットが幸せかどうかなんて誰にも分からないのである。いくら飼い主が一生懸命世話をしたところで、だからペットが幸せというわけでもない。(世話を頑張るのはせいぜい飼い主の自己満足でしかないだろう。)いくら尽くしたところで男女の仲が上手くいかないことがあるのと同じように、世話を頑張ったらペットが幸せになるというのはイコールで結ばれない。

生き物はエサに不自由することなく安心して眠れれば幸せだろうか?その条件さえ満たされればペットは幸せだろうか?もし「そうだ、間違いない」という人が居たら声をかけて欲しい。私があなたをペットとして飼ってあげようではないか。もちろん増えると困るので避妊手術をする。そして自由もない。狭い部屋に閉じ込められて出ることは許されない。ただしエサには不自由はさせないし安心して眠れるようにする。そうすればきっと幸せに違いないのだから。

という皮肉は置いといて、ペットとして飼われて何不自由ない生活をしたところで、自然の中で暮らすのより幸せだなんてどうして断言できようか。そんなのは分からない。分からないことを自分の都合の良い方に解釈するのはエゴでしかない。(余談だが、私にはペットが幸せそうにしているとは到底思えない。避妊手術されたり、狭いところに閉じ込められたり、ペットの立場で考えればロクなことがないではないか。)

ペットは人間に飼われるのが幸せであると考えるのは、人間のエゴである。ペットを飼うべきだという理由にはならない。ましてや災害時のことを考えると、ペットなど飼わないのがベストである。ペットが居ることによって得られる経験を否定するつもりはない。だが、そのためにペットを犠牲にしても良いのだろうか。犠牲を覚悟した上でペットを飼うのはエゴではないのか。(ここで犠牲というのは、ペットの生涯が飼い主の楽しみのために犠牲になるという意味と、災害時に置き去りにされる可能性の2通りの意味で用いている。)

ペットの影で犠牲になる動物たち

ペットショップで生体を買うということは、悪徳なブリーダーを下支えしてしまっているということになる。全国の保健所で殺処分される犬の多くはペットショップの売れ残りだ。大きくなりすぎると売れないから処分されてしまうのである。この事実を知ってもあなたはペットショップで犬猫を買うことができるだろうか?ペットは家族などと言えるだろうか?人間に飼われたペットは幸せだと言えるだろうか?その舞台裏には大量の犠牲があるにもかかわらずに。

本当に動物が好きなら、まずは殺処分になる犬猫を救うことを考えるべきだろう。そういう活動をしている人は偉いと思う。個人レベルでまず手始めにできることがある。誰でもできる。実に簡単なことだ。それはペットショップでペットを買わないということである。可愛いと思っても誘惑に負けてはいけない。そのエゴが多くの犠牲を生み出しているのだから。

不自由で当たり前

ペットを飼っているひとが「こちらが奴隷のようなものだ」というようなことを言っているのをしばしば見かけることがある。それは正直馬鹿げた発想だと思う。誰もあなたにペットを飼うことを強制したわけではないだろう。好き好んで世話のかかるペットを背負い込んだのである。ペットは生き物だ。だから毎日世話をしないといけないのは当たり前。旅行に行きづらくなるのも当たり前。金がかかるのも当たり前。手間暇かかるのも当たり前。飼い主が不自由になって当たり前なのである。不自由になるのが嫌なら飼わないのが一番だ。

当然アレルギー持ちの人の居るところに入れないのも当たり前の話だ。どうしても災害時にペットを助けたいというのなら、自分で何とかするべきだろう。よく「ペットは家族」などというが、家族ならば命がけで助ければ良いではないか。(何の決定権もないペットが家族だというのは馬鹿げた話にしか思えないが。)

リリースはダメ、ゼッタイ!

「連れていけないのならせめて自分で何とかして欲しい・・・。」そう考えてペットをリリースしてしまうのだけはいただけない。犬は野生化し、自然環境に甚大なダメージを与えてしまうからだ。環境保護の観点からすれば「環境省」が啓蒙すべきなのはむしろこちらだろう。環境に詳しい人ならば外来種の問題が如何に深刻なのかは周知の事実であるから、野犬が如何に環境にとって大きなダメージになるかはわかるはずだ。

「災害時にペットをリリースするな。」それが言えない環境省などクソの役にも立たない。いや、クソは肥料にもなるしクソを食料とする生き物もたくさんいるから役に立つ。つまりクソよりも劣ることになる。

6 コメント:

Unknown さんのコメント...

ペットを家族と捉えるか捉えないかは人それぞれ、家族を大事に思うか思わなかも人それぞれ。

災害時に備えて、ペットは飼わない。
災害時に備えて、家族は持たない、結婚しない、子を持たない。

ナンセンスの線引きも人それぞれですね。

Mikiya Okuno さんのコメント...

樺嶋賢慈 さん

コメントありがとうございます。

ただし、ペットと人(家族や子供)を比較することはできないと思いますので、頂いたご意見には同意はできません。

人は皆社会がなければ生きていけませんから、社会を存続する義務を負っています。社会の存続には後の世代を残すということが欠かせません。直接「子を持つ」という選択をしなくても、何らかのかたちで次の世代を担う人々の育成や社会への貢献はしなければならないでしょう。どんな苦難があろうとも、直接的・間接的に関わらず、次世代を産み育むことは我々、つまり社会に頼って生きる人々にとっての義務です。生物にとって新陳代謝が必要なように、社会にとっても新たな細胞が必要です。あなただけでなく、多くの場面で「子供は持たなくても良い」という意見をしばしば見かけますが、そういった意見には「社会は次の世代を次々と産み出すことなしに成り立たない」という視点が欠けているように思います。

ペットは趣味です。家族だと主張するのは個人の自由ですが、実質的にペットが社会の一員として自主性を持った、人間と同等の存在になることは不可能でしょう。エントリでは「エゴ」だと表現しましたが、ひとつ取り違えて頂きたくないのは私はエゴ自身を完全に否定するつもりはありません。人間誰しもエゴを一切持たずに生きていくことは不可能でしょう。他者の人権を侵害したり、迷惑をかけたりしない範囲であればエゴは互いに認め合うべきです。

ただし、義務とエゴの違う点は、エゴは単に止めることができるということです。我慢できればベストです。エゴを通した結果悲しい思いをするなら止めれば良いと思います。そして、最も大事なことは、エゴが人命より優先してはいけないということです。そのような理由から反対意見をエントリとしてまとめた次第です。

はやし さんのコメント...

奥野様(漢字間違っていたらすみません)

いつもMySQLの記事で勉強させていただいております!

ちなみに私はペットを飼っていません。
しかし災害時に避難所、仮設住宅にペットを持ち込むのは賛成です。

> そもそもペットは飼っている本人以外には迷惑なものだ。泣き声や臭いは不快だし、衛生面でも問題がある。

すごく一般論を述べている!という感じで書かれていますが奥野さん個人の意見ですよね?
例えばペットを赤ちゃんに置き換えるとどうでしょう?
そもそも赤ちゃんは育てている親以外には迷惑なものだ。泣き声やお漏らしの臭いは不快だし、衛生面でも問題がある。
ということで、赤ちゃんを持ち込むのも反対でしょうか?

犬の襲撃ニュースへのリンクも貼られていますが、人だって殺人したり強姦しますよ。

もっと生あるものに対して優しく生きましょうよ。別にお肉食べるなとか言ってるわけじゃありませんから。
ペットは彼らの家族なんですしね。

Mikiya Okuno さんのコメント...

はやしさん、コメントありがとうございます。

漢字は合ってます。大丈夫です。

> すごく一般論を述べている!という感じで書かれていますが奥野さん個人の意見ですよね?

騒音、悪臭、雑菌は一般的に迷惑ではないでしょうか?程度の問題でもありますけど。

> 例えばペットを赤ちゃんに置き換えるとどうでしょう?

今朝のエントリにも書きましたし、一つ前のコメントにも書きましたが、ペットと子供を同列に例えるのはナンセンスだと思います。

> 犬の襲撃ニュースへのリンクも貼られていますが、人だって殺人したり強姦しますよ。

もちろんそれは真理ですが、だからといって次の事実が変わるわけではありません。

・災害時に優先されるべきは人間である
・動物は噛む習性がある

人間は他人を殺したりするので、災害時に救出するべきではないと仰りたいのでしょうか?

> もっと生あるものに対して優しく生きましょうよ。別にお肉食べるなとか言ってるわけじゃありませんから。

優しさに対する考え方はそれぞれだと思います。そもそも都市でペットを飼うのは優しい行為なんでしょうか。本当にペットのことを考える優しい人ならば、ペットを鎖で繋いだり、狭いところに閉じ込めたり、去勢・避妊手術をしたりしてまで飼おうと思うでしょうか。

本当に動物を不幸な目にあわせたくないのなら、飼わないのがベストだと思います。それが本当の優しさではないのでしょうか。

> ペットは彼らの家族なんですしね。

それは飼い主の主観です。このエントリの主旨でもありますが、私は人命よりも主観が優先されることがあってはならないと考えています。

はやし さんのコメント...

奥野様

お久しぶりです。 はやしです。

ガイドラインが策定されましたので念のため共有しておきますね。

・飼い主は原則ペットを連れて避難
・自治体は事前に避難所にペットの飼育場所を検討しておくこと

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130831/k10014176001000.html

以上です。

Mikiya Okuno さんのコメント...

はやしさん、

コメントありがとうございます。

このようなガイドラインが策定されて非常に残念に思います。内容としてはいい加減極まりないですね。何も問題を想定していないかと。

ちなみに、後出しですが私はペットを飼っています。(犬猫ではありませんが。)その上での反対意見でした。

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