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2012-11-15

付加価値の落とし穴

以前、(最高の土管が欲しい)というエントリで「付加価値」という価値観が日本に蔓延していることについて述べた。今回は付加価値が何故ダメなのかということについてさらに掘り下げて論じてみようと思う。

付加価値が生まれる背景


我々のいちばんの疑問は「なぜ次から次へと付加価値と称するくだらない不要な機能やサービスが生まれるのだろう?」というものではないだろうか。この問いに対して、読者の皆さんにがっかりする答えを提示してみよう。

ぶっちゃけた話、付加価値をつけることは手軽だということが第一の理由ではないかと思う。

付加的な機能やサービスは、あくまでもオマケなので、既存の製品やサービスの延長でできる。つまり本命の製品やサービスにはあまり手を加えなくても良い。製品やサービスの屋台骨に手を加えるのは大きな決断となろう。もしそれが今まさに儲かっているものであれば、変更するのはリスク以外の何者でもない。しかし本命に手を加えず新たな「価値」を付け加えるだけであれば、チャレンジしなくても良いのである。

チャレンジしない、リスクがないということは、新たな価値をつけるという企画は上司や経営者から厳しく追及されない、つまり社内で企画が通りやすいということを意味する。それに、「枯れ木も山の賑わい」ということわざがあるように、機能が豊富に見えるなら存在しても害はないと多くの人は考えがちだ。しかしこれは誤りである。

深く考えずに企画を通してしまった結果、気づけばあまり使わない機能だらけで製品やサービスがごちゃごちゃになってしまう。分厚いマニュアルの出来上がりである。

付加価値が好まれない理由


「別に必要ないから」と言ってしまっては身も蓋もないが、それが事実だ。人は一つの製品ですべてのニーズを満たしたいと考えているわけではない。よりベターな専用の機械やソフトウェアがあればそちらを使う。オマケはあくまでもオマケでしかなく、専用の機械やソフトウェアより機能で劣る。

世の中は既に十分便利になっている。何かをしたいと思ったら、たいていの場合はそれをするために必要なものは揃っている。すでに機能が飽和しているのだ。

「もっと便利なもの」を知っている人が、それより劣る機能を「オマケですから」と使うよう勧められたとき、感じるのはストレス以外の何物でもない。押し付けられたそれは便利機能などではなく、不便さの塊のように見える。押し売りは嫌われる。

蛇足という言葉の意味をもう一度思い出して欲しい。必要のない足など邪魔でしかないのだ。だが、実際には世の中はムカデのような蛇で溢れかえって居る。

例えばこういうものだ。

痛いニュース(ノ∀`) : シャープ、テレビに「目覚まし時計」機能を搭載! 本体にベル音内蔵 - ライブドアブログ

携帯ゲームは携帯にとって付加価値だったか?


ガラケーでかつて遊ぶことが出来た種々のゲームは、蛇足の代表格のように思われるかも知れない。

「携帯電話でゲームが出来て何が嬉しいんだ?だって電話だろ?

グラフィックだってショボいし、操作はしづらいし何が楽しくてやってるんだ?

ゲームはゲーム専用機でやれよ。」


私にもそう考えていた時期がありました。

しかし、それは誤りだったと気づいた。携帯ゲームは、既存のゲーム機とは違う。その最大の特徴は、電波の届く範囲なら常にネットにつながることだ。確かにグラフィックはしょぼいかも知れない。そしてくだらなさという点では他の追随を許さない。(おっと、失敬。)だが、誰かと共有できる、常に変化し続ける生きたコンテンツを楽しむことができるのは他のどのデバイスよりも長けていた

つまり携帯ゲームはまったくのユニークなコンテンツだったのだ。ユニークなものには市場があり、その市場は拡大する。携帯ゲームがヒットするのは当然の成り行きであった。

サンクコスト


人間の判断を鈍らせる最も怖いのがサンクコストである。如何にそれが蛇足であろうとも、人間にはひとたび手をかけたものを捨てる際にはもったいないと思う気持ちが生じてしまう。

「工夫すればまだいけるのでは・・・」「もう少し時間が経てばヒットするのでは・・・」

自分が手をかけたものには思い入れが生じる。それは人間の自然な感情であって仕方がない。だがそれが儲からない、もしくは失敗だとわかったとき、非情にならなければ損失は拡大するだけである。次のようなニュースが話題になった。

なぜ失敗しそうな事業から撤退できないのか (プレジデント) - Yahoo!ニュース BUSINESS(ヤフーニュースビジネス)

サンクコストは傷口をさらに広げる落とし穴である。落とし穴にはまり込まないよう注意したいものである。

機能が多いから値段を上げても良いという幻想


オマケをつければ製品の値段を上げても良いような気分になるのは、まったくもって売る側の理屈である。その理屈とはオマケにも原価がある、だからその原価の分価格を上乗せしても良いというものだが、その理屈は完全に誤っている。買う側は自分が欲しいものに対して金を払うのであって、いくら下らないオマケが山のようになっていたって価値など認めない。煩わしく感じるだけだ。分厚いマニュアルなどお断りなのである。

マニュアルは薄ければ薄いほど良い。欲しい機能がシンプルに使えるのが最高である。(とは言え、アップルはやり過ぎだと思うのだが。)

利幅を増やしたければ堂々とマージンを乗せれば良い。価格設定がいくらまでなら売れるかというのは市場やライバルの状況を鑑み、その製品固有の機能にどれだけ価値があるかということ次第になるので経営判断が求められる。経営判断がおろそかになると、利益が出ない、ないしは製品が売れないという状況に陥ることになる。もちろん製品の企画段階で価格帯のターゲットを決めておくことも重要だ。

罠に陥らないために


大切なのは付加的な便利機能などではなく、製品やサービスそのものが便利かどうか、優れているかどうかである。本来なら付加価値などに手間をかけている時間などないはずだ。新たな製品で新たな価値を生み出すことに心血を注ぐべきなのである。日本の電機メーカーが苦戦している原因はまさにこの点にあるのではないかと思う。下らない付加価値にリソースを投入してしまっているから新しい価値を生み出せないでいる。

新しい価値には付加価値など要らない。そして本当に価値のあることならば、使い方もシンプルであるはずだ。日本の電機メーカーにはマニュアルを薄くすることを至上命題として製品開発に取り組んで頂きたいと思う。

3 コメント:

ちゃお さんのコメント...

記事を拝見して感じたことは「付加価値」と呼ばれるものの内容が随分変わったんだなあ、ということです。

記事内において「付加価値」とは所謂メインの機能(TVであれば電波受信、携帯であれば電話機能)以外にオプションとしてついているオマケの機能のことを「付加価値」と定義されています。

ですが元々使われていた「付加価値」というのは、製品そのものが持っている価値以外の観点で見た時に別の価値がある、という意味だったと思います。
例えば全く同じ機能を持つTVならお洒落なデザインの方が付加価値が高く、同じ容量が入るバッグなら有名なブランドの方が付加価値が高く、ほぼ同じ機能、同じ価格の携帯なら剛力彩芽が好きか上戸彩が好きかで決める、、、
というような価値のことを「付加価値」と呼んでいたかとおもいます。

なので「余計な機能をつけるな。それで価格を上げるなんて言語道断」というのには諸手を上げて賛成なのですが、それと「付加価値をつけるな」が同義かどうか、と言われるとちょっと考えてしまいました。

黒マッシュルーム男爵 さんのコメント...

問題はもっとシンプルなことかなあ。価値のある付加価値ならぜひついていて欲しいですしそのためにより多くのお金を払うのもやぶさかではありませんが、価値のない付加価値を無理やりくっつけて付加価値と呼んでいることが多くなってきただけでは?

テレビの目覚まし時計の例なら、目覚まし時計なんて500円以下で買えるものなので、それの付加価値は500円以下でしかなく、数万円のテレビの価値を向上させることには全く繋がっていないというところかと。

Takuji Matsugaki さんのコメント...

幾つかの主体機能がしっかりしていれば、たとえ競合他社製品に具備されていようがユーザーにとって不可欠ではない付帯機能はバッサリ切らないとダメだと思いますよ。ごちゃごちゃ悩んでいる時点で負けのような気がします。
泥試合してもお互い不幸ですし...

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