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2010-12-21

なぜデジタルコンテンツが売れないか?ビジネスモデルがダメか

ドワンゴ会長の川上氏であると噂されている(?)kawango氏が、ブログで次のようなエントリを綴っている。

なぜデジタルコンテンツが売れないか?DRMがダメか - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

興味深いエントリなので皆さんにも読んでみていただきたいが、時間のない人のために要約すると話の骨子はこうだ。「日本で今コンテンツビジネスの売上高は凄いが、それはガラケーでDRMがうまく機能しているからだ。スマフォが台頭するとコンテンツビジネスがダメージを受けるので、DRMの代わりになるクラウド型のコンテンツサービスを構築せねば!」

正直意味が分からない。そのようなコンテンツサービスがあったところで誰が利用するのか謎である。DRMつきの楽曲ファイルよりもさらに不便なのだから。

今日は、kawango氏に目を覚ましてもらいたい一心で、何故そのサービスがいけないかということについて論じてみよう。

オフラインのときはどうするのか。

クラウド型のサービスと聞いてまっさきに思い浮かぶのは、オフラインのときは使えないんじゃないかという疑問だ。スマートフォンなどでの利用を考えると、電波の届かないシチュエーションというのも当然考えられる。携帯の電波の頼りなさを考えると、クラウド型のサービスということになれば不安を抱いても仕方がないのではないだろうか。本来なら、電波の届かない本当に何もないところでこそ、音楽を聞きたくなるというものだ。そこで使えないとなると、一体何のためのサービスだと言えるのだろうか。

もう一点気になるのはパケット代だ。kawango氏はコンテンツサービスと書いているが、ガラケーでDRM入りのコンテンツサービスといえば筆頭は着うただ。音楽ファイルをダウンロードするとなると結構なパケットがとび交うことになる。使い放題のプランを選択することが多くなったとは言え、当然ながら従量課金で利用しているユーザーも依然として存在するので、パケット通信料が問題になる場合もあるだろう。また、あまりに多くのダウンロードトラフィックが発生すると、キャリアが悲鳴を上げることになりかねない。

コンテンツ提供者側がDRMをかけたいというエゴのためにユーザーに不便を強いてインフラを酷使するのは正しいアプローチなのだろうか?いや、そんなはずはない!ユーザーの利便性を考えても、社会のインフラのためにも、クラウド型のコンテンツサービスには直ぐに疑問符が浮かぶ。

消費者の利便性

kawango氏は、消費者が違法コピーを止めないのは、お金を払って購入するよりもコピーしたほうが良い品質のものを手に入れることが出来るからだと説く。

コンテンツのファンであればあるほど、当然ながら、すこしでも品質のいいものが欲しい。根本的な問題は、無料でダウンロードすると品質のいいものが手に入り、お金を払うと品質の悪いものをつかまされるというネットの現状にあるのだ。

違法コピーのほうが便利な例をいくつかあげてみよう。

  • マジコンつかってゲームソフトをダウンロードすると発売日前にゲームが遊べる。
  • 有料でダウンロードできる映画や音楽よりも、違法データのほうが画質や音質がいい。
  • ダウンロード販売で購入できる映画やアニメやゲームは過去作品のほんの一部だが、違法コピーならなんでも見つかる。
  • マジコンつかうと、1枚のメモリーカードにいくつものゲームがいれられて、カートリッジを抜き指す必要がない。
  • テレビ放送されているアニメがネットで購入できるようになるまでに放送後1週間かかる。

なるほど。これは確かに真っ当な指摘だ。特に2つ目の「画質や音質がいい」のはビットレートの問題だと思うが、お金を払って購入したもののビットレートが低いのは情けない話である。何故そんなことをする必要があるか?音質や画質を下げたほうが消費者が喜ぶからだろうか?いや、そんなはずはない。全てはコンテンツ提供者側の都合ではないか?コンテンツ提供者側の事情を鑑みると、思いつくだけでも次のような理由があるのではないかと推測できる。

  • レコ協が買わせたいのはあくまでもCDである。(そのためわざとダウンロード販売するものの音質を下げている。)
  • 音質や画質を良くするとデータサイズが大きくなるので、それらを低く抑えてインフラコストを抑えている。
  • 複数の機種に対応するためひとつの楽曲に対して多数のバージョンのファイルを作成しなければならず、一つ一つのファイルは低品質にならざるを得ない。
  • 単なる怠慢。

粗悪品を掴まされることが分かっていて購入する消費者はいないだろう。その粗悪品にDRMまでついてくるとなると、尚更である。だからと言って違法コピーをするのはよくないが、デジタルコンテンツの消費に向かわない消費者を責めるのはお門違いと言えよう。

Trusted? or Treacherous? Computing

「お金を払うと品質の悪いものをつかまされるというネットの現状」を指摘しているkawango氏だが、ならば「粗悪品を掴ませないように業界の体質を改めるべき」と話が向かうのかと思いきや、明後日を向いてDRMを肯定する方向に話が向かってしまっている。DRMをかけるのはコンテンツ提供者側の権利であると説き、さらには次のようなことまで書いている。

ぼくは逆にDRMが本当にちゃんとコンテンツのコピーを防止できるならかけてもいいと思う。でも、いまのDRMは局所的にコピーを不可能にしているだけで、DRMのかかっていないデータが流通している状態じゃ、正規ユーザを虐めているだけで、違法ユーザにはなんの意味もない。そしてPCとネットというデータを自由に加工流通できる魔法の装置がこの世の中にある以上、DRMのかかってないデータの流通はそもそも防げない。本当にDRMをかけたいなら、コンテンツのデータだけじゃなく、世の中にすべてのPCとOSにコンテンツの保護機能をつけるのを義務づけて、そうでないPCからはインターネットへ接続できないようにするぐらいしないとダメだ。それができないのなら、DRMなんてかけるべきじゃない。

冷静に考えてみて欲しい。「著作権を守らせるために全てのPCとOSにコンテンツ保護機能をつけるのを義務付ける」ことが如何に馬鹿げた考えであるかを!!

PCやOSは音楽や映像の再生に使われているだけではない。むしろそれ以外の用途で使われることのほうが多い。産業の規模で言えば、IT産業はコンテンツ配信産業の20倍を軽く超える規模である。そのちっぽけな市場における一部の利権者の傲慢な要求によって、IT産業全体に影響を及ぼすような取り決めをしても良いのだろうか?

もし仮に「全てのコンピュータとOSにコンテンツの保護機能を付ける」ことになったらどのようなことが起きるだろう?以下はその仮定に基づいた壮大なストーリーである。

まず、保護機能がついた専用のOSには、勝手にアプリケーションをインストール出来なくなることが予想される。インストールを許すと、「保護機能」が付いていない再生ソフトをインストール出来てしまうからだ。そうなると、今流通している多くのソフトウェアは使い物にならなくなってしまう。保護機能に対応したソフトウェアにするには、恐らくOSベンダー側での作業が必要となるだろう。タダで対応してくれれば良いのだが、そうでない場合は「無料ソフト」はそのまま使えなくなってしまうか、無料でなくなる可能性が高い。自腹を切ってまで無料でソフトを配布したい人は居ないだろう。もしベンダーがタダで保護機能の追加に対応してくれたとしても、そのための人件費はOS価格の上昇という形で消費者へ跳ね返ってくることになる。

CPUの設計にも影響が出てくるだろう。DRMはソフトウェアだけで実施可能なものではない。OSに保護機能がついているだけなら、保護機能のついていないOSに入れ替えればDRMを回避できる。それをさせないためには勝手にOSをインストール出来ないようにする必要がある。好きなOSをインストール出来ないのは非常に不便である。例えば筆者が好き好んで使っているLinuxはインストール出来なくなるかも知れない。例えインストール出来るとしても、上記のような「保護機能対応」の運用はOSそのものに対しても必要となってくる。つまり、保護機能をコントロールする権利(権限)を持った機関に対して、インストール出来るように要請するのである。もちろんパッチをリリースするごとにだ。そして当然、運用にかかるコストはハードウェアやOSの価格上昇となって、消費者に負担が押し付けられるのだ!

悪い話はそれだけでは終わらない。保護機能を実行するためにはコンピュータのリソースを消費する。いつもより余計にCPUやメモリを使用することになるので、本来アプリケーションが利用可能だったリソースが減ってしまうことになる。何かの操作を行うたびに保護機能が実行されるため、それがオーバーヘッドとなり性能が低下してしまうだろう。もし「保護機能」にバグがあったらどうなるだろうか?人は完璧なソフトウェアなど書けない。従って「保護機能」にはバグが入っていないと考える方がおかしい。バグが致命的なものなら、突然コンピュータが使用不可能になってしまうかも知れない。

また、PCは何もクライアント側だけで利用されるものではない。コンテンツ再生に無縁のサーバーサイドにも影響が出るだろう。昨今のウェブサイトでは膨大なトラフィックを捌くためにx86系CPUが搭載されたサーバーをズラリと並べて運用されていたりするが、リクエストを受けるたびにコンテンツ保護機能を実行しなければいけないとしたらどうなるだろうか?保護機能はボトルネックとなり、必要なサーバーの数は数倍に跳ね上がってしまうことになるだろう。性能だけでなく安全性にも不安が生じる。コンテンツ保護機能のバグのせいで銀行や証券会社の取引が失敗することになったら誰が責任をとってくれるのだろう?

そもそも勝手にソフトウェアをインストールすることが出来なくなったら、ソフトウェア開発そのものが不可能になる。ソフトウェアをインストール出来ないということは、自分が作成した実行ファイルを自由に実行出来ないということである。デバッグの前にいちいち「この実行ファイルを保護機能対応にしてもらえますか?」とOSベンダーにお伺いを立てなければいけなくなったらどれだけ生産性の低下に繋がるだろうか。

このように、全てのハードウェアに対して保護機能の導入を行うという考え方は、Trusted Computing(以下TC)と言われる。TCは一見するとユーザーを守る技術のことのように聞こえるが、実はユーザーからコンピュータ守る、即ちコンピュータの利用を制限する技術である。これはまったく皮肉な話だ。(皮肉なのでTreacherous=危険な Computingと揶揄されている。)ユーザーにとっては不便極まりない技術だが、前述のようにIT業界全体でコスト上昇につながり、それはコンピュータハードウェア・ソフトウェアの価格の上昇という形でユーザーに跳ね返って来るのだ!そればかりか、ソフトウェア開発の在り方にまで影響を与え、IT業界を根本から崩壊させかねない危険な考えなのだ!

TCほどではなくても、DRMを搭載すればその分製造コストが上昇する。ユーザーはDRMによって不便を強いられるだけでなく、より多くの料金を払わなければいけなくなってしまうのである。

そもそもコンテンツサービスは社会にとって必要か?

DRMのように、消費者に不便を強いるものは、どのような言い訳をしたところで正当化することは出来ないというのが筆者の考えである。TCのように過激なものは尚更だ。しかし、今回のkawango氏のエントリのように、それらが如何にも必要悪であるかのように言葉巧みに誘導しようとする、利権者サイドのロビー活動は後を立たない。そのようなロビー活動では言葉巧みに我々の正常な判断力を奪い、自分たちの利権を守るDRMが必要なのだと信じこませる。

本ブログの読者には、そのような誘導に引っかからないようにするために、利権者サイドの人が何か主張したときには次のような問いをもって判断力を取り戻して欲しい。

「それを導入することにより、今よりも便利になったり価格が安くなったりするか?自分にとっての利益に繋がるか?」

DRMのように不便を強いるものはこの問いによって100%フィルタリングをすることができる。利権者サイドのロビー活動に踊らされて、消費者が「業界のために」などと考える必要は一切無い。消費者は自身の利益を声高らかに訴えれば良い。それが民主主義だ!業界の利益は業界が追求するべきなのであり、消費者が耳を傾けるべきことではないのである。そもそも世の中を便利にしないもの、役立たないもの、価格競争力がないものは淘汰されるべきである。そういった淘汰が正常に機能しないと、資本主義は人々を幸せにはしない。経営努力をしない企業が淘汰されずに蔓延れば、サービスや製品の品質が改善されないからだ。資本主義が人々の役に立つためには、つまり我々が資本主義を肯定する理由は、競争によってサービスや製品の品質が向上し、生活が豊かになるからなのだ!この考えから外れるものは、資本主義を成り立たなくさせるので、資本主義経済においては排除されなければならない。

しばしばコンテンツ提供者側はDRMをかけるのは業界のためであり、DRMがないと産業が衰退してしまうといった言い訳をすることがある。保護しないと多くの人が職を失い、文化が衰退すると脅しをかけてくる。競争を阻害する=資本主義の原則から外れるかも知れないが、業界のために必要なのだと保護を正当化するのである。だが、我々はそのような脅しに屈してはならない。保護がなければ成り立たない産業などは本来不必要なものであり、どんどん衰退すべきなのだ!

DRMなしの楽曲ファイルのほうが人気

DRMを肯定するべき理由がないという証拠がもうひとつある。人々はDRMがついている楽曲ファイルよりもDRMのないものの方を好み、そしてDRMなしでも儲かっているという動かぬ証拠だ。例えばAmazon MP3のように。

AppleはiTunesで販売する楽曲ファイルをすべてDRMフリーにする措置を講じたが、それはDRMフリーで人気を博したAmazon MP3への対抗策だったという見方が強い。(参考:DRMフリー化は必然──津田氏が語る「iTunes Plus」)DRMありの楽曲ファイルよりもDRMなしの方が売れるのだ!

「DRMがなければコンテンツが売れない」というkawango氏の主張が正しいならば、誰もAmazon MP3で楽曲ファイルを購入しようなどとは考えないだろう。実際はどうだ?Amazon MP3は日本でのサービスはまだ始まったばかりなので今後どうなるかはまだ分からないが、米国では少なくともこれまでアップルの独壇場であった音楽ダウンロード販売において、存在感のある2位として浮上してきている。しかもその影響でアップルはDRMの廃止を余儀なくされ、さらには価格の見直しまで迫られたのである。津田氏によれば米国ではダウンロード販売の市場は伸びているそうである。アップルが全ての楽曲をDRMフリーにしたにもかかわらずだ!DRMフリーにしたのに売り上げが伸びたという事実は「DRMがなければデジタルコンテンツは売れない」という主張に反するものである。

アップルとAmazonというライバル同士が競いあうことでサービスが向上し、消費者にメリットがもたらされる。そして市場がさらに活気づく。これこそが資本主義の恩恵であり、資本主義を肯定するべき理由なのである!ビバ資本主義!

海外でアップルとアマゾンはサービス向上を目指して躍起になっている最中、国内ではkawango氏がせっせとクラウド型のDRMの構築に取り組んでいる。ひとりの日本国民として、筆者の目には何とも情けない話に映ってしまう。DRMを強化しようという動きは明らかに消費者のためにならないし、市場を衰退させるだけである。何という了見の狭さだろう。一体誰がそんな不便なサービスを使うのだろう?少なくとも筆者以外の誰かであることは間違いない。

kawango氏が言うクラウド型コンテンツサービスが狙うのはガラケー市場である可能性が高い。そんなことで大丈夫か?これからもガラケーにおんぶに抱っこで頼るつもりか?DRMに縛り付けられたままの日本人はもっと怒ったほうがいい。いつまでこんな不便なものを使わせるつもりだ!と。

なぜデジタルコンテンツが売れないか?

ここで本エントリの本題に戻ろう。「なぜデジタルコンテンツが売れないか?」というテーマにである。ハッキリ言おう。

コンテンツが売れないのはコンテンツ提供者が消費者を馬鹿にしているからだ!

消費者は金を払う価値があると判断すれば金を払うものだ。買う価値がないから買わない。それだけのことだ。それでもなお、より強固なDRMをもって締め付ければ消費者が購入せざるを得ないと考えるのは、消費者の利益を無視した傲慢な思考であると言わざるを得ない。消費者は馬鹿にされているのだ!!

再掲になるが、そもそもkawango氏は件のエントリの冒頭において次のように問題点、即ち違法コピーのほうが品質が良いという問題を指摘をしている。

  • マジコンつかってゲームソフトをダウンロードすると発売日前にゲームが遊べる。
  • 有料でダウンロードできる映画や音楽よりも、違法データのほうが画質や音質がいい。
  • ダウンロード販売で購入できる映画やアニメやゲームは過去作品のほんの一部だが、違法コピーならなんでも見つかる。
  • マジコンつかうと、1枚のメモリーカードにいくつものゲームがいれられて、カートリッジを抜き指す必要がない。
  • テレビ放送されているアニメがネットで購入できるようになるまでに放送後1週間かかる。

なぜこれらの事実に気づいていながらそれを解消しようとしないのか?真っ当に考えればこれらの問題点を解消するような、すなわち次のような努力をするのが筋ではないか。

  • 流通を改善してマジコンでソフトが出まわるより早く店頭販売を開始する。
  • 違法データに負けない画質や音質のデータをダウンロード販売する。
  • ダウンロード販売で購入できる映画やアニメやゲームのラインナップを充実させる。
  • 一枚のメモリカードにいくつものゲームを入れられるようにする。
  • テレビ放送された直後にアニメがネットで購入できるようにする。

そして、消費者からの信頼を回復し、その上で購買意欲を喚起すべきなのであり、その努力をしないのは経営の怠慢である。消費者の不満を解消して買ってくれる努力をするのが消費者にとっても社会的にも利益になる行動であり、そのような努力をする会社だけ生き残ればいいのだ。消費者がコンテンツを買わないのを消費者のせいにして、より強固なDRMをもって消費者に不便を強いるというkawango氏の目論見は支持できるものではないし、十中八九失敗に終わるだろう。違法コピーユーザーはともかくとして、真っ当な消費者がDRMフリーで便利なAmazon MP3でなく、クラウド型で不便なDRMが課せれたサービスを選択する理由はどこにもない。DRMを推進する企業がレコード会社を抱き込んでAmazon MP3に楽曲を流さないという政治的な手法を用いる可能性はあるが、それはレコード会社にとっての不利益となるだろう。せっかく売れるチャンスを潰してしまっているからだ!レコード会社はDRMがないほうが売れるチャンスが広がるということに、いい加減気づくべきなのである。そして消費者は、不便を強いてなおかつコストを消費者に押し付けるDRMに反対すべきなのである。

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