SNSで高校生の性生活「暴露」、裁判の末に・・・ 「サセ子ちゃんは誰?」の代償~北欧・福祉社会の光と影(16)
以下はニュースからの引用である。
事件の発端は、スウェーデンの第2都市ヨテボリに住む女子高生2人が、このインスタグラム上に「奔放なセックスライフを送っている」とされる同年代の男女の写真を投稿・共有するアカウントを作成したことだ。
これが大きな波紋を呼び、アカウントが稼働した翌日に暴動が発生、数十人の高校生が逮捕される騒ぎとなった。
この「黒幕」としてアカウントを作成した2人の少女が起訴され、ヨテボリ地方裁判所での約3週間にわたる公判の後、「すべてのケースにおいて深刻にプライバシーに立ち入る性質を持つもの」であり、「重大な名誉毀損に当たる」とされて有罪判決を受けた。
事の顛末については記事を参照して欲しい。
このような事件はたまたま海外で起こったものだが、日本の社会にも同様の事件がいつ起きてもおかしくない素地があり、決して対岸の火事ではない。このような事件を繰り返さないために我々は何をすべきだろうか。今日はこの点について考察してみようと思う。
問題の本質はプライバシーの侵害
問題を引き起こした女子高生二人は、他人のプライバシーについて無頓着過ぎたと言わざるを得ない。本来、誰と誰がセックスしたかというような情報は、完全にプライバシーの領域である。中には誰々とセックスしたということを自慢したい人々も居るようだが、基本的にはそのような情報は知られたくないことの方が多いし、知られたくないという意思は尊重されるべきである。だが、多数の人がこの事件に巻き込まれ、プライバシーが侵害されてしまった。
この二人が作成したアカウントによって、インスタグラム上で他人のプライバシーを軽々しく公にしてしまったのが問題である。(重々しいからといって公にして良いワケではないが。)前回のエントリでも述べたが、プライバシーの侵害はしてはならない。それが例え公人や有名人であってもである。プライバシーは互いに侵害しないことによって保たれる。自分のプライバシーが大事なら、まずは他者のプライバシーに立ち入らないようにする心がけが重要である。
スネークと呼ばれる行為について
日本ネットでは何かしらで炎上すると、スネークと呼ばれる行為が行われることが多いように思う。スネークとは、はてなキーワードによると次のような意味であるとされている。
ネットスラング。潜入捜査を行う者。諜報員。
各種イベント会場やニュースで話題の現場などへ赴き、リアルタイムを含む報告を行う者、またその行動を指す。
テレビゲーム「メタルギアソリッド」の主人公スネークの任務が敵地への潜入行動であることから転じて、主に2ちゃんねる界隈で用いられる。
スネークによって様々な情報が明らかになった件として象徴的なのが、滋賀県の大津市立皇子山中学校で起きたいじめ事件ではないかと思う。この件では加害者生徒をはじめ、その両親、担任、校長、教育委員会等の面々の素性や言動が次々と明らかになった。今でもそれらの情報はネット上で見つけることができる。
スネークの行為をすべて否定するわけではない。だが、明らかにプライバシーを侵害していると思われるような情報まで晒されてしまっているのは問題である。私も警察や学校、教育委員会等の対応には非常に憤りを覚えた。しかし、だからといって「悪者」に対してどのような私刑を加えても良い、どれだけプライバシーを踏みにじっても良いということはない。私刑は人権侵害であり、絶対にやってはいけない。プライバシーの範疇に含まれない情報、例えば記者会見での答弁の内容等であればネット上で共有、公開しても問題ないだろう。だが、もし現在も他人のプライバシーに関する情報を掲載してしまっているという人が居たら、すぐに削除して欲しい。
スネーク活動をしている人は義憤から、あるいは正義感からそうした情報を公開しているのかも知れない。だが、そのような行為をもってしても世の中は決して良くならない。より良い社会にするには、より個人の権利が保証されるように、より皆のプライバシーが守られるような方向に世の中を変えて行かなければならないと思う。私刑によってプライバシーを丸裸にする行為は、そのようなより良い社会への道とは正反対の方向に進む行為だ。いくら生贄を捧げたところで世の中は決して良くならない。生贄を捧げるというのは魔女裁判とやってることは同じである。
長い道のりかも知れないが、民主的、人道的なアプローチで理想に近づけていく以外に社会を良くする方法などないと思う。
メディアの責任
今回の事件が起きた背景として、これまでメディアが行なってきた数々の悪い慣行による影響は無視できない。メディアは個人のプライバシーを晒すことを金儲けのタネにするということを散々やってきたからだ。
週刊誌では芸能人の熱愛報道等が紙面を賑わせているが、これはプライバシーの侵害以外の何物でもない。パパラッチは何も日本に限った話ではなく、海外でも盛んに行われている。「海外でやってるなら日本でもやっていいんじゃないか」と考える人も居るだろうが、それは間違いだ。誰がどこでやってようが、プライバシーを侵害して良い言い訳にはならない。メディアは芸能人や公人を含めた個人のプライバシーを侵害するような記事を金儲けの道具にするのを即刻やめるべきだ。
「週刊誌や芸能誌への露出も芸能人にとっては仕事のうち」といった意見もあるだろう。ということを書いていたらちょうど次のようなニュースが飛び込んできた。
HKT指原、週刊誌の交際報道に「感謝」 好きなタイプは「秘密守る人」 (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
確かにこういったプライバシーの露出が当人にとってメリットになるケースもあるだろう。しかし、だからといって芸能人に対するプライバシーの侵害を正当化する理由にはならない。やはり当人が望まないプライバシーの侵害があってはならない。従ってパラッチを宣伝に利用するのは悪い慣行であり、改めるべきである。(ちなみにAKBについては「恋愛禁止」という規則自体、雇用者によるプライバシーの侵害にあたると思う。)
公人についてはどうだろうか。ネットを検索していると次のようなコラム(2011年のもの)に行き当たった。
インターネット上の発言と法的責任:プライバシー侵害|知っておかないと損をする中小企業経営の為の法律情報 法律コラム|J-Net21[中小企業ビジネス支援サイト]
私事の公開をプライバシー侵害として規制することは、表現の自由を制限することでもあります。あらゆるプライバシー情報の公開を禁止することは弊害が大きすぎます。例えば、政治家の私生活に関することは一切報道できないというのでは行き過ぎです。
政治家のプライバシーを報道する意義とは、プライバシーを表現する自由とは果たしてなんだろうか。政治家の奔放な私生活を赤裸々に暴露することで政治家を貶める自由をメディアに与えろということだろうか。それともオシャレだったりアットホームだったりする私生活を公開して、政治家の好感度アップをする自由をメディアに与えろということだろうか。政治家は本来政策や当人の弁論によって評価されるべきものであり、私生活のタイプで好感度が上がったり下がったりするべきものではないはずだ。私生活を報道する自由をメディアに与えるというのは行き過ぎである。かつて麻生太郎氏が総理をしていたとき、ホテルのバーに通っていたことでメディアに吊るしあげられたことがあったが、これは全く意味のない批判であり、メディアによって不当に政治家が貶められた典型であると言えるだろう。
また、昨今では事件に関する報道において、何故か容疑者の名前が報道されず、被害者の名前が報道されるというおかしな状況になっている。本来は被害者のプライバシーについても十分に考慮されるべきであり、許諾なしに報道するべきではないはずだ。また、容疑者についても度々精神科への通院歴といった情報が報道されるが、当然病歴はプライバシーであり報道されるべきではない。メンタルな面で責任能力の有無が問われることがあるので、精神科への通院歴というのは「判決がどうなるか」ということを考える上での手がかりとなるが、少なくとも裁判が始まるまでは報道を自粛するべきではないか。
メディアは報道の自由を盾に散々プライバシーを侵害してきた経緯があり、かつ現在進行形で精力的にプライバシーの侵害を日々行なっている。だが時代は変わりつつあり、インターネットという増幅装置のおかげでプライバシーが守り辛くなってきている。油断するとすぐにプライバシーが丸裸にされてしまう時代である。今後プライバシーの扱いはより一層の配慮が求められるようになるだろう。メディアが今のままで良いとは到底思えない。
SNSとプライバシー
現在、非常に多くの人がSNSを使い交流を行なっている。かくいう私もMixiやFacebookを利用している。最近Mixiはほとんど利用していないが、Facebookでは友人の友人に相当する人々の写真などが次々と流れこんで来る。また、彼らの家族の写真なども次々と舞い込んでくる。
当たり障りのないシーンを撮影したものであればそれほど問題はないかも知れない。だがFacebook等のSNSを介して写真を公開する際、それが誰に見られるか分からないということを我々は意識する必要がある。実際、Facebookの写真は投稿時に公開範囲を限定したところで、その公開範囲は通知の範囲でしかなく、画像ファイルには誰でも(例えFacebookをやっていなくても)アクセス出来てしまうという問題がある。
先日はGoogle+への写真の自動アップロードでGoogleアカウントが停止されてしまったという事件があった。
tappli blog: Googleアカウントを消されてしまった話
Facebookにしろ、Google+にしろ、写真をアップロードする際には細心の注意を払うべきである。なるべくなら自動アップロード機能は使わないほうがいいだろう。いや、もし我が身を守りたいなら絶対に使うべきではない。
SNSとはいえ、ネットはパブリックな空間である。自らプライバシーを危機に晒すような行為は避けるのが賢明である。
必要な法整備
個人のプライバシーを守るという点では、法律はとても弱いように思う。現在はプライバシーを侵害された場合にできることは民事訴訟だけである。これは有名人等の商売を前提にしたもの、つまりプライバシーを公開されたことでビジネス上の損害が生じた等の部分を弁償するものであり、個人のプライバシーを守るという目的のものではない。メディアがプライバシーの侵害を金儲けのタネにするための免罪符ですらあると言える。
よりよい社会にするためには、もっと個人のプライバシーを守るように法律を改正するべきではないか。今の時代、メディアから、公権力からプライバシーを守るだけでなく、インターネットを介した拡散からもプライバシーを守らなければならない。メディアは反発するだろうが、面白おかしいゴシップのために個人のプライバシーが犠牲になって良い理由はない。できれば民事だけでなく刑事でも訴訟できるようにするのが望ましい。
一方で、政府のような公的機関には透明性が必要であるが、こちらは何故か個人よりも情報が闇の中であることが多いように思う。メディアがアタックすべきは個々人ではなく政府の密室ではないか。マインドを切り替えて欲しいと思う。
まとめ
長々と書いたが、今回のエントリで主張したいことはたったひとつ。「プライバシーを大切にしましょう」ということである。
インターネットが隆盛になり、プライバシーを守ることは以前よりもはるかに難しくなっている。プライバシーは相互に守るべきものであるので、一人ひとりがより一層プライバシーに対する意識を高める必要がある。メディアもこれまでのようにはいかないだろうし、社会の変化に追随するよう法整備も求められるだろう。
このエントリが、あなたにとってプライバシーについて考えなおすきっかけのひとつになってくれれば幸いである。
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