ちょっと硬派なコンピュータフリークのBlogです。

カスタム検索

2011-06-24

挑戦に言い訳は要らない

ひろぶろで紹介されていたダンサーの動画に感動したので、思ったことを書いてみる。



まずは百聞は一見に如かず。この動画を観て欲しい。なんと素晴らしいパフォーマンスだろうか。だが、ちょっと冷静に観察して欲しい。明らかに中央で踊っている男性は、他の2人より背が低い。両サイドの2人が大きいのだろうか?いや、どうやらそうではないらしい。

脊椎側湾症

このダンスグループはRemoteKontrolという。彼らのウェブサイトへ行くとメンバー紹介(BIO THE KREWのコーナーだ)がある。背の低い彼、Bryan "Chibi" Gaynorのプロフィールを見てみると、背が低いのはscoliosisとKlippel–Feil syndromeによるものだということが分かる。("Chibi"は日本のアニメからとったニックネームなのだそうだ。)

scoliosisとは、日本語で脊椎側湾症といい、その名の通り脊椎が左右に歪んでしまう先天性の病気だ。さらにBryanはKlippel–Feil syndromeまで併発しているという。こちらも先天性の病気で、Bryanは7つある頚椎のうち2つが癒着してしまっているのだという。

えっ、それであんな華麗に踊れるものなのか!?

この事実を知ったとき、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。これほどの先天的な障害を持ちながら、なんと素晴らしいパフォーマンスが出来るのだろう。しかも2008年にはコンテストで優勝している。凄い成果だ。

どれほどの逆境に耐え、どれほどの努力をしたのだろう。想像するだけで目頭が熱くなった。

言い訳は要らない

ひどい脊椎側湾症を背負いながら、ダンサーになれると本気で考える人がどれほど居るだろうか。身体で表現するダンサーにとって、身体に障害がある、見た目が健常者と異なるというのは明らかなハンデだ。きっと痛みもある。

ほとんどの人は、なんだかんだと理由をつけて挑戦を諦めてしまう。「そんなのできっこない!だって○○だから・・・」と。

だが、Bryanは諦めなかった。ハンディキャップを言い訳にして諦めなかったのだ。他の人たちよりハードルが高いことを承知で挑み、そして成功したのだ。

自分に言い訳して、夢を諦めてしまったら、そもそも成功などはなかっただろう。日々の練習において、言い訳をして自分に甘くなっていたら、ダンスは上達しなかっただろう。

挑戦を続けるチャンピオン

筆者は、もうひとり言い訳をせずに挑戦しているを知っている。元世界チャンピオンの辰吉丈一郎だ。

辰吉丈一郎に直撃! 逆境に負けない生き方とは

以下は記事からの引用だ。

「夢のような話だ、不可能に近い話だという人がいることはわかっているけれど、それは他人がそう思うだけのこと。ボクは違った尺度や考え方を持っているからね。人生は障害物競走みたいなもので、ゴールはひとつだけじゃないし、いろんなゴールがあるから、それぞれが自分のゴールに向かって進んでいけばいいんじゃないの?ボクの場合は目の前にチャンピオンベルトがある。それを奪い取るためにボクシングをやっている、それだけなんよ。やめるんなら自分の意思でとっくの昔にやめているよ」

挑戦に言い訳は要らない。他人の評価も関係ない。自分が自分を信じてただひたすらやり抜くだけだ。言い訳も要らない。

「もう辰吉は終わった、引退したほうがいいという外野の声は耳に届いていたけれど、自分では限界だなんて思ったことは一度もない。自分で自分をあきらめた時が本当の終わりで、あきらめなければチャンスは必ずやってくるもんよ」

辰吉丈一郎がまたチャンピオンになれるかどうかは分からない。恐らくほとんどの人が「無理だ」と思っているだろう。対戦相手だって必死だ。

だけど、挑戦者にそんなことは関係ないのだ。

自由のために戦う

「言い訳をするな」なんて言うと、「じゃあイエスマンになれってことかよ」とひねくれたことを口にする人もいるかも知れない。確かに上司に言われたことに反抗せず、ただひたすら「はい」と言って仕事をするというのは、「言い訳」をしない姿かも知れない。だが、それとこれとは話が違う。

Bryanや辰吉は、誰かに言われて挑戦したわけではないだろう。自分がそうしたいからやる。自分が進みたい道は自分が決める。

彼らは自分の意思に従って行動している「自由人」なのだ。自分で決めたことなんだから頑張れる。だから言い訳も出てこない。何をしようが自由なのだから!言い訳するような道に進んだとしたら、それ自体が間違いなのだ。

自由のために誰もが無謀だと思える挑戦をした人といえば、やはりリチャード・ストールマンを置いて他にない。ひとりでOSを作るなんて、フリー(自由な)ソフトウェアの大切さを広めるなんて、数ある大企業と戦うなんて、誰もが無茶だと思っただろう。だが、彼はムーブメントを起こし、そしてある程度の成功を収めている。今のコンピュータ業界を見ると、まだまだ成功しているとは言い難い。いくらソフトウェア特許やDRMの有害性を説いたところで、金儲けが大好きな人たちはお構いなしだ。

これからもリチャード・ストールマンの挑戦は続くだろう。いちファンとしてずっと応援していきたいと思う。

Amazon MP3ストア覗いたが・・・

少し話は逸れるが、RemoteKontrolのパフォーマンスのBGMを購入しようとAmazonをを覗いてみたのだが、「この曲は米国でしか売ることができませんのであしからず!」と言われてしまった。残念な気分でいっぱいだ。

RemoteKontrolのMP3を買えないのは、別にAmazonが悪いわけではないだろう。(売らないことはAmazonにとって1ミリもメリットがないからだ。)

俺はレコード協会に言いたい。海外の楽曲が国内に入ってくるのを阻止したところで、日本の楽曲が売れるようになるわけではない!と。むしろ、そうやって新しい刺激を入れないからこそ、リスナーもミュージシャンも育たないんだろ!

自由を制限した先にあるのは緩やかな衰退しかない。

ダンスは自由な文脈

ちょっと話は逸れるが、ダンスというのは著作権という観点からすると実は非常に興味深い。楽曲とは違い、ダンスの振り付けはコード化しづらいので、模倣がとても盛んに行われている。一応振り付けにも著作権は存在するのだが、実質的に機能していない。(参考:振付けの著作権問題

その結果何が起きているか?それは誰から見ても明らかな、ダンスという文化の発達ではないか。RemoteKontrolのダンスを20年前の人が見たらどう思うだろうか。きっと驚くに違いない。

自由に模倣が行われることで盛んに改良が行われ、業界が発展することになる。

特許がないというのも重要だ。もし仮に「パントマイム」や「ムーンウォーク」に特許が認められていたら、このような振り付けは出来なかっただろう。

発展は自由な模倣と競争の先にこそ存在するのだ。

理想の自分になれ!

なぜBryan "Chibi" Gaynorは頑張ってダンサーになり、栄光を勝ち取ることができたのだろうか。それは「ダンスをしている自分」が彼にとって理想だったからではないだろうか。辰吉丈一郎しかり、リチャード・ストールマンしかり、「理想の自分」、「理想の社会」を目指している。

努力の先にあるのは未来の自分だ。理想の自分だ。人から言われたのではなく、自分がそう有りたいと思う自分だ。人がどう思うかは関係ない。

5年後、10年後に自分はどうなりたいか。本当にそうなりたいか。挑戦する価値があるか。心からそう思えるなら、無謀でも前に進もうと思えるし、言い訳だって出てこないだろう。

もちろんどれだけ頑張っても無理なことはある。"Chibi"の先天的な病気を治すことは、本人がいくら望んだところで無理だろう。そのハンデをずっと背負って行きていくしかない。だけど、いくらハンデがあっても、無謀だと思っても、自分が「これなら出来る!」と思ったことなら挑戦するべきなのだ。

ハンデを背負った日本

今年、日本は震災、そして原発事故により大きなハンデを背負ってしまった。元々資源が少ないというハンデを背負っている上に、さらに日本の十八番とも言うべき製造業が大きな打撃を受けたのだ。だけど、

「もう日本はダメだ。立ち直るなんてとても無理だ。」

などと悲観的にならないで欲しい。挑戦を続けていればきっと未来は切り開ける。挑戦を続ける熱い男たちがそう教えてくれる。

理想の日本とはどういうものだろうか。10年後日本はどうあるべきか。皆がそれを真剣に考え、挑戦をすれば必ず国は栄えるだろう。どんなハンデを背負っていたって関係ないのだ。

大事なのは挑戦だ。理想の姿を心に思い描くことだ。

だけど、政府や政権の対応を見ていると、ガッカリさせられることが多い。挑戦の反対は守りだ。政府が特定の団体の利権を守ることに躍起になってばかりではダメだ。守りの先には未来はない。緩やかな衰退しかないのだ。もちろん理想を目指して日々挑戦している方々も居るだろうが、結果的に期待を裏切られることばかりだ。

利権を守ることに躍起になっている政府機関や議員の方々はもう一度考えて欲しい。今の自分は理想の自分なのかと。それは本当にあなたが望んだ自分の姿なのかと。もしそうだとしたらどれだけ浅ましいことだろうか。

心に理想を描こう。そのために挑戦しよう。言い訳なんて要らない。そうすれば必ず未来は切り開ける。

0 コメント:

コメントを投稿