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2010-03-04

漢のソフトウェア特許廃止論

最近は長いエントリしか書いてないので投稿の回数が減り気味なのだが、性懲りもなく今回も長文をぶちかますので皆さん時間があるときに読んでくださると幸いである。

コンピュータ産業において最も良くないものは何か?と聞かれると、俺は間違いなく「ソフトウェア特許こそ諸悪の根源であり、癌である!」と答えるだろう。コンピュータ産業はソフトウェア特許という癌に冒され、日々むしばまれ、やがて終焉に向かおうとしているように見える。一般的に、特許と言うと「産業を振興するとても良いもの」のように考える人も多いだろうが、そうではない。今ではあらゆる産業にとっての足かせにしかなっていないのだ!!

今日は、特にソフトウェア産業の領域に絞って、特許が如何に危険で人々のためにならないかを説明しようと思う。

アイデアを独占して他者による利用を禁止する

特許とは、アイデアを独占して他者によって勝手に利用されないようにブロックする仕組みであり、他者へアイデアの利用を許可することでライセンス料を徴収したり、ライバルがそのアイデアを利用するのを禁止したりするためのものである。特許は最も始めに「発明」を発見した人に与えられるため、他者よりも先んじて特許を取得しようと皆躍起になることが予想される。それによって、盛んに発明が行われ、世の中がもっと便利になり、我々の生活が豊かになる(≒幸せになる)という寸法である。また、特許という仕組みがなければ、発明者は自分のアイデアを公表したりせず、秘密裏にそのアイデアを利用することだろう。特許になり得るような役立つ発明を促進し、特許を公開して適正な価格でライセンスすることによって、役立つアイデアや技術を世の中に広く普及させるのが特許の目的なのである。

生活が豊かになったりアイデアが多くの人に共有されたりするのは
素晴らしいことじゃないか!

と思うかも知れないが、それは適切に運用がなされている場合の話である。コンピュータ業界に居ると、もはや特許にはそのような良い効能は一切なく、我々の足かせにしかなっていないことを痛感する。

コンピュータエンジニアにとって、コードの実装を「ひらめいた!」と思う瞬間は多々あるだろう。もしその「ひらめいた!」アイデアが、他に誰も思いついた事がない優れたアイデアだとしたら、それは特許となり得るだろう。一方で、そのアイデアが既に他者によって特許が取得されている場合には、せっかく「ひらめいた!」アイデアは自由に使うことが出来ないのである。

一行も進まないコーディング

もし、自分が何らかのソフトウェアを開発してそれで商売をしているとしよう。すると、あなたはある日突然次のような不幸な連絡を貰う可能性がある。

「あなたが販売しているソフトウェアには我々が保有している特許によって守られている技術が使われています。」

そして、あなたは莫大な特許使用料をむしり取られる羽目になる。このような事態を回避するにはどうすればよいか?それは製品をリリースする前に、特許に抵触する技術が含まれているかどうかを逐一チェックすることである。一行のコードを書いて、あなたはそのコードが他者の特許に抵触していないかどうかを調べるようとする。しかし、既に認可されている特許は膨大な数にのぼるので、あなたはその1行に対する特許を調べるために延々と特許の文書を読みあさる必要があるだろう。果たして次の行を記述出来るのは何時になるだろうか?

かくして、本気で特許に抵触しているかどうかを調べるならば、もはや誰も永遠にソフトウェアをリリースすることは出来ないのである。

しかし、実際の開発現場では、誰もこのように糞真面目に特許に抵触するかどうかを確認することはしていないと考えられる。何故って?それはソフトウェアが日々リリースされているからだ。特許に抵触しているかどうかを完璧にチェックしていてはソフトウェアが完成しないから商売が成り立たない。特許使用料を払う以前の問題なのである。従って、既にリリースされているソフトウェアには、第三者によって保有されている特許が紛れ込んでしまっている可能性がとても高い。

コンピュータの進化は積み重ねの歴史

他者の特許に抵触するのが嫌なら自分で特許を保有すればいいじゃないか!と思うかも知れない。あなたは努力して特許を100件取得したとしよう。その100件の特許を使えば、他者が保有する特許に一切抵触することなくソフトウェアを書き上げることが出来るだろうか?答えはノー!である。コンピュータの進化は積み重ねの歴史であり、既に膨大な数の特許が世の中には溢れかえっている。もしかすると、あなたが何の疑いもなく利用してリンクしているライブラリに特許技術が使われているかも知れない。いや、余程古いものでなければ間違いなく誰かの特許技術が含まれていると考えた方がいいだろう。つまり、いくら特許を自分で取得したとしても、既存の特許技術を一切使うことなくソフトウェアを開発することは事実上不可能なのである!

すると、ある日突然あなたは、「あなたが販売しているソフトウェアには我々が保有している特許によって守られている技術が使われています。ライブラリの一部としてですが、我々の神聖な特許を勝手に利用することは許しません。」という悪魔の通達を受け取ることになるのである。

雪だるま式にふくれあがる特許使用料

特許保有者からこのような不幸な連絡を受け取った場合、もしその特許を使わずに機能を実装出来るならそれで一件落着であるが、そう上手く行く場合ばかりとは限らない。その特許をどうしても利用しなければいけないような場合、あなたが取れる選択肢は基本的には2つである。ソフトウェアの公開を辞めるか、特許使用料を支払うか。

あなたはビジネスを止めるわけにはいかないと判断し、特許使用料を選択したとしよう。協議の結果、ライセンス料は売上げの5%ということで話がついた。これで一件落着と思いきや、あなたは別の特許について別の人から同様の連絡を貰う可能性がある。しらみつぶしに既存の特許を調べ上げるのは実質不可能だから、何件の特許が含まれていても不思議ではない。するとやがて特許使用料は雪だるま式にふくれあがり、20件の特許について5%のライセンス料を支払う契約を結んだところであなたの売上げはゼロになってしまう!売れば売るほど赤字になるのだ!!実際には開発にかかる経費などを考慮しなければいけないので、ソフトウェア販売で生計を立てるには、特許使用料は全体の売上げの10%もあると商売として成り立たないと言われている。

今の時代、ソフトウェアを公開することは利益にならないどころか危険な行為ですらあるのである。

理想的な特許ビジネスとは

あなたが既に誰かが取得している特許を既に自分のソフトウェアにおいて利用しており、ライセンス料を払って継続利用したいと思っている状況であると過程しよう。しかし、特許を使用するには特許保有者と合意し、契約を結ばなければいけない。言い換えると、特許をライセンスするかどうかは特許保有者が決めることが出来るのだ。従って、あなたの希望が必ずしも叶えられるわけではない。極端な話、あなたのソフトウェアの生殺与奪件は特許保有者にあると言えるだろう。つまり、特許保有者は利用者に対して圧倒的有利な立場にあるのである。

この事実から導き出される「理想的な特許ビジネス」は、特許を保有するだけで自らは利用せず、そのアイデアを利用している企業からライセンス料を巻き上げることである。いわゆる「特許ゴロ」になることだ。そうすることで、自分は特許の侵害によって訴えられるリスクを負うことなく、特許による利益だけを享受することが出来る。最も安全かつ美味しいビジネスである!特許さえ取ってしまえば餌食は山ほど居る。あとは優秀な弁護士を雇い、ターゲットとなる企業を訴えるだけである。

もちろん、そのような特許ビジネスは社会に全く利益をもたらさない。良識ある人ならそのようなビジネスをしようとは思わないだろう。しかし世の中は善人ばかりではなく、特許ゴロは新たな獲物を探し回っている。今、あなたが公開しているソフトウェアが、特許保有者によって訴えられていないとしたらそれはたまたまであり、つまり単なる「ラッキー」である。特許保有者に「こいつは金になる」と目をつけられたが最後、法外なライセンス料を搾り取られることになるだろう。

解決策のひとつとしてクロス・ライセンス契約

大きな企業になれば、保有する特許の数も相当なものになるだろう。保有する特許数が増えれば、自社の特許だけで全てのロジックを賄える確率も向上し、特許侵害による起訴のリスクを低減することが出来る。しかしながら、ソフトウェアの規模が大きくなると、いくら巨大企業といえども、自社が保有する特許だけで全てのロジックを賄うことは出来なくなり、他の企業が持つ特許をどうしても使いたい場合が出てくるだろう。特許保有数が多い大企業になればなるほど、お互いに「あの特許さえ使えれば・・・」と思う機会も増えるはずである。

そんな時に企業が選択する戦略が「クロスライセンス契約」である。いくら大企業といっても、特許のための起訴にかかる費用や、法外なライセンス料の支払いは結構な負担になってしまう。使いたい特許を持っている企業に対して「お互いの特許を融通しあいませんか?」と持ちかけるわけだ。クロスライセンス契約を結べば、相手の特許を自由に利用することが可能になり、少なくともその相手からは特許によって訴えられることはなくなるだろう。対象の特許は全部の場合もあれば一部の場合もあるし、どちらかがライセンス料を支払う場合もある。しかしいずれの場合も、相手から特許侵害で起訴されるというリスクからは解放されることになる。

クロスライセンス契約があれば万事解決ではないか?!

と思うかも知れないが、そうではない。クロスライセンス契約はいわば「同盟」のようなものである。大企業同士はクロス・ライセンス契約によって特許侵害のリスクから解放されてめでたしめでたしであるが、体力のない中小企業はクロスライセンス契約を結ぶ機会も与えられない。(そもそも特許を持っていない場合には「クロス」になり得ない。)その結果、大企業だけが特許起訴のリスクを回避できて、中小企業は孤立してソフトウェア産業から弾き出されるという構図が産まれることになる。そのような状況は、大企業による独占を助長する結果となり、資本主義経済にとってもっとも重要な競争原理を鈍化させてしまうのだ。つまり、ユーザーたる一般市民にとってはあまり嬉しくない状況が生じてしまうのである。

ソフトウェア特許の構造的欠陥

特許庁によって認められた特許が、本当に凄い技術で誰も思いつかないようなアイデアだとしたら、そのアイデアが世の中に広まるという点において、その特許はとても意義のあるものとなるだろう。しかし、実際に登録されている特許は実に下らないものが多い。例えば、2005年に松下電器(現パナソニック)がジャストシステムに対して起こした特許を挙げると、
ジャストシステムが侵害したとされる松下の特許は、ヘルプ機能を担うアイコンをクリックした後、他のアイコンをクリックすると、そのアイコンの機能説明を表示する、との技術で、特許番号第2803236号、「情報処理装置及び情報処理方法」との名称で登録されている。一太郎などが搭載している「ヘルプモード」では、「ヘルプモード」ボタンをクリックすると、カーソルが「?」マークを伴った矢印に変化し、「?」マークの付いたカーソルが移動する。この「?」マークの付いたカーソルで「印刷」ボタンをクリックすると、「印刷」ボタンについての説明が表示される。松下側は、この「ヘルプモード」ボタン、「印刷」ボタンは「アイコン」に該当しており、同社の特許に相当する、と主張していた。
とある。開いた口がふさがらないとはこのことではないか。「?」マークの付いたカーソルでボタンをクリックして機能説明を表示するというのは、使い易いユーザーインターフェースを構築しようと考えるなら自然なアイデアであり、実際ジャストシステム製品だけでなく多くのソフトウェアに採用されている。そもそも、このような馬鹿らしい特許が認められたのがおかしいのである。

ただし、パナソニックばかりを責めてはいけない。今でこそこのような特許は「馬鹿らしい」と思えるのであるが、この特許は「松下電器の特許は、89年に出願、98年に登録された」のであり、出願から登録まで実に9年の歳月を要している。89年には確かに画期的な発想だったのかも知れないが、コンピュータ産業はドッグイヤーと呼ばれるほど進歩が早く、アイコン特許は今となっては(もちろん起訴が行われた2005年当時でも)ごくごく当たり前の技術である。このように、出願から特許がおりるまで時間がかかるようでは、進歩の早いコンピュータ産業では特許は役に立たない。しかも、特許は20年間という、コンピュータ産業にとっては永遠とも言える長い時間保護される。今から20年前といえば、Windows 95すら出てなかったのだから!

せめて一週間で審査が下りて、特許期間が1年ぐらいの短い期間でなければ、コンピュータ業界にとって特許は全体の効率を落とす足かせにしか成らないだろう。

もう一つの解としてのウェブサービス

これまでに説明したように、ソフトウェアを販売して生計を立てるのは特許侵害による起訴という大きなリスクがある。かといって、多くの人は世の中の何の役にも立たない「特許ゴロ」になりたいとも思わないだろう。ソフトウェアを開発しつつ、特許侵害のリスクを回避しながら生計を立てる方法として最も有力なのが、ウェブサービスを提供することである。ユーザーから見れば、ウェブサービスはHTTPを介してしかアクセスすることが出来ないブラックボックスである。もちろん特許保有者からもそれは同様で、サービスの裏側で特許が利用されているかどうかは知る由がないのである。サービスの裏側を覗けば、それは機密情報を不正に見ることとになり、そちらの方が先に問題になってしまうだろう。従って、ウェブサービスはソフトウェア開発を生業とする人々にとって、最後の砦であると言える。

しかし、ウェブサービスといえども完全に特許のリスクから逃れられるわけではない。特許による攻撃のリスクは日に日に存在感を増している。「ビジネスモデル特許」によって。

ウェブサービスに対するビジネスモデル特許として最も有名なのは、アマゾンのワンクリック特許であろう。これは、2007年の再審査で無効になった特許であるが、「cookieを使い、1度クリックするだけで購入したい商品をショッピングカートに入れるシステム」に対する特許である。同様の技術は、多くのECサイトで広く使われている・・・というか、この仕組みがなければECサイトそのものが成り立たないような技術である。このような、誰でも思いつくような特許は本来認められるべきではないので、再審査で無効になったのは当然なのだが、そもそもそのような特許が取れることが問題なのだ。特許裁判には費用がかかるし、特許を保有している側に対してライバルのビジネスを阻害するのに十分な時間と猶予が与えられることになるだろう。

現在でも、ビジネスモデル特許の出願はゼロではない。ウェブサービスにおいても、特許保有者による魔の手は徐々に忍び寄るだろう。

知的財産という欺瞞

アイデアは誰のものだろうか?ごくごく個人的な意見を言わせて貰えば、たとえ特許に値するようなアイデアであっても、そのアイデアは個人や特定の企業に帰属するべきではない。アイデアは社会全体の財産だ。なぜなら、アイデアというものは現在の社会があって初めて成り立つものであり、それ単独では存在することが出来ないものだから。

いくら新規性のあるアイデアだからと言っても、そのアイデアを理解できる(実用出来る)社会的なバックグラウンドがなければ、そのアイデアは誰にも理解されないし役に立たない。特に、ソフトウェア特許などというものは、これまでに数多くの技術者が積み上げて築き上げた土台がなければ成り立たないのである。江戸時代に「アイコンのヘルプを表示します」とか「ワンクリックで商品が買える!」などと言っても誰にも通じないだろう。そもそもコンピュータもインターネットもないのだから、平賀源内でも発明のしようがない。つまり、どのような優れたアイデアであっても、それは「時代」という文脈から切り離すことが出来ないのだ!時代とは、社会の変遷であり、つまりアイデアとは社会と切り離すことが出来ない存在なのである。

切り離せないものをまるで「財産」であるかのように扱うことには無理がある。何かが「財産」であるには、排他的であり、任意の個人に所属することが出来るという前提が必要である。例えば物理的な品物であれば、明確にその境界線を線引きすることができるだろう。金銭などのように仮想的な概念であっても、排他的に誰かに所属することは可能である。そうでない場合、明確にその存在を切り出せないものに対しては、所有権を認めることは出来ないのである。

アイデアとは、現在の社会があって初めて成り立つものであるから、特定のアイデアだけを切り離して「財産」として個人や企業に帰属させるのにはそもそも無理があるのだ。アイデアを「自分のものだ」と主張する人にはこう言い返すべきである。

あなたがアイデアを生み出すために利用した文明は、我々全員の共有財産である!アイデアの所有権を主張したければ一切文明の便益を享受するなかれ!!

と。

特許がないとどうなるか?

もし特許がなくなるとどうなるかを考えて欲しい。恐らく、世間一般の人々は何も困らないだろう。(特許で大もうけしている連中と特許庁職員と弁護士以外は。)

一方で、特許が無くなれば技術者が待遇が改善される可能性はある。技術者が特許をひとたび取得すると「うち(企業)には特許があるからお前はもう要らないよ」という三行半を突きつけることも可能だ。特許が企業に所有されていることにより、技術者は利益を得る機会を失っているのである。もし特許というものが無ければ、企業には競争力を維持するためにアイデアの源泉となる技術者をより多く雇用しようというモチベーション生じることになるだろう。そもそも、特許に値するような技術を知っている技術者に辞められてライバル企業に雇われては大変である。その結果、企業は技術者を必死に引き留めにかかり、その手段として待遇を改善することになるだろう。現在不利益を被っている博士課程進学者も、特許がなくなれば報われるかも知れない。

特許がなくなるとみんな技術開発なんてしなくなるんじゃないか?!という懸念を示す意見もあるが、企業にとって技術は競争の原動力であり、特許という仕組みがなくなったとしても技術の重要性は変わらない。企業秘密は増えることになるだろうが、それは結果として前述したように技術者の待遇の改善に繋がるだろう。

そもそもであるが、本当に企業にとって核心に迫るような重要な技術は特許にすらならず、重大な企業秘密として扱われる傾向にある。従って、最重要技術については「役立つアイデアや技術を世の中に広く普及させる」という本来の目的すら果たせていないのである。ならば特許などあってもなくても同じであるといえよう。

また、現在では特許侵害による起訴のリスクを最小化するために、分野によっては研究開発そのものよりも、ライバルが保有する特許の研究に多くの時間が割かれている。Googleなどで特許の検索が出来るようになったとは言え、まだまだ特許について調べるオーバーヘッドは大きい。特許がなくなれば研究開発に100%尽力出来るようになるだろう。

このように、特許が無くても我々は一切不利益を被ることはないと考えられる。「特許がなくなったら技術開発が遅れることになる」というのは、特許を多く保有している企業や投資家、そして特許庁による脅し文句である。我々は決してそのような脅しに屈してはならないのだ!!

このまま特許制度が存続することのリスク

恐らく日本人の大半は「日本企業は特許をたくさん持っているから国際的な競争力がある。もっとたくさん特許をとるべきだ。」という意見に対して異論を挟むことはないだろう。多くの日本人は、特許制度は日本の国益に繋がる有り難いものだと信じて疑わないからだ。特許は早い者勝ちであり、先駆者が有利となる仕組みになっている。我々日本人は、日本企業が多くの特許を保有しているから特許に対して寛容になれるのである。反対の立場に立ってみると、発展途上国にとって特許は単なる参入障壁でしかない。いくら経済が発展してきても、いくら優秀な技術者が居ても、既に多くの特許が先進国によって押さえられている。特許によって事業の参入が困難になっているのである。

恐らく愛国心(?)に溢れる人ならば「特許制度をもっと強化しろ!海外企業の成長をもっと妨げるんだ!そうすれば日本は安泰だ!」という風に考えるかも知れない。しかし、それは諸刃の剣というものであり、日本が海外に逆転されたときのことをまったく考えていない。

例えば、最近はサムスンやヒュンダイ、LGなどの韓国企業が非常に元気であり、特許保有数も上昇している。一方、日本では景気が悪く、なおかつ技術者の待遇が悪いため軒並み企業が元気を失っているように見える。(企業年金の負担が増えたせいで若くて有望な技術者に払う金もないし!)もし、特許を多く取得するという戦略を採るのであれば、老人ではく若くて優秀な技術者に投資するべきであるが、現状はそうはなっていない。このままでは、韓国に特許取得数で逆転される日が訪れてもおかしくはないのである。もしそうなったら、若者や技術者が冷遇される日本に再逆転するチャンスは訪れないだろう。その時、日本企業は逆の立場になり、特許という強大な参入障壁に苦しむことになるのだ!!

真に大切なのは人々の幸せ

特許によって誰が得をしているのだろうか?おそらくは、発明者とその特許を利用する企業だろう。企業内の発明者は、青色LED特許の例のように、余程必死で抵抗しなければ大きな恩賞を受け取ることが出来ない。その他大勢の社員も、企業が特許を取得したからといって、その恩恵に預かれるわけではないだろう。では一体だれが得をしているのか?得をしているのは特許を保有している企業の株主だけだ。特許という仕組みは、強大な資本を持つ株主が、さらにその資金を増大させるための仕組みとして利用されているのである。

最も大切なのは人々の幸せであり、全ての社会的な仕組みは、社会の利益、即ち大勢の人々の幸せに繋がるものでなければならない。しかし、特許という仕組みは、特にソフトウェア産業においては、既に業界にとって足かせでしかなく、ソフトウェアの発展が遅れることにより社会の利益を大きく損ねているのである。そろそろ、特許の在り方について、我々が特許によって享受することができるメリットについて、もう一度社会全体でちゃんと議論するべきときが来ているのではないだろうか。


この件については、経済産業省アイデアボックスの議題として挙げたので、是非そちらで皆さんの賛成・反対の意思表明および意見を聞かせて頂きたい。

参考書籍

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