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2013-09-30

GNUプロジェクト30周年おめでとう!

[ Celebrate 30 years of GNU! ]

我らがリチャード・ストールマン氏(以下、敬称略)がGNUプロジェクトを孤軍奮闘ながら発起してから30年を迎えた。30年前と言えばWindowsすら無かった頃であり、コンピュータの世界は今とは全く異なっていただろう。「だろう」というのは筆者が当時まだ子供であり、その頃の業界について伝聞でしか知らないからである。

GNUプロジェクトは言うまでもなく、自由なソフトウェアによるオペレーティングシステムを作ろうという一大プロジェクトである。今のようにインターネットもなく、容易に支援も得られそうにない中で、独りでOSを創りあげようなどと起ち上がるのは如何に無謀なことであったか。しかし、その無謀のおかげで今日のソフトウェア業界の姿があるのは間違いない。

今日はGNUプロジェクトの重要さについて、改めて語ろうと思う。

GNUなくして今のインターネットは無かった


これまで、GNUプロジェクトが果たしてきた役割は非常に大きい。今では誰しもがインターネットに容易にアクセスし、様々なウェブサービスを楽しむことができるが、自由なソフトウェアなくしてこのような世界は実現しなかっただろう。

なぜ星の数ほどの多くのウェブサービスが生み出されてきたか。何故FacebookやTwitterのような巨大なウェブサービスが運営できるのか。もちろんそれらのサービスの運営者の努力やイノベーションによるところは大きい。だが、数多くのサービスを産み出したり、巨大なウェブサービスを運営するには、コストが安く抑えられることが非常に重要であるのは言うまでもない。

コストを抑える要因の一端を、自由なソフトウェアが担っている。

誰でもタダで使えるGNU/LinuxなどのOS、ウェブサーバー、さらには各種プログラミング言語まで。さらにネットワークを形成するネットワーク機器にもGNU/Linuxが搭載されたものが非常に多い。特に家庭や小規模オフィスで使うようなものは、ほとんどがそうだ。直接GNUプロジェクトによる産物ではないにしろ、フリーソフトウェア運動とフリーソフトウェアライセンスの普及によって登場したものは非常に多い。

もし30年前にGNUプロジェクトが始まらなかったら、今は全く違った世界になっていたかも知れない。オープンソースという考え方もなかっただろう。未だにコンピュータは限られた人しかアクセスできない高価な道具だっただろうし、ウェブサーバーは貧弱で、通信費はバカ高く、誰もが携帯電話を持ってアプリを楽しむ世界などは来なかっただろう。

もちろん自由なソフトウェアが貢献を果たしたのはインターネットの発展だけではないが、これが最も分かりやすい例ではないかと思う。GNUはIT業界の発展に大きく寄与してきたのだ!

オープンソースと自由なソフトウェアは違う


昨今ではオープンソースだけが取り沙汰されて、自由なソフトウェアの社会的貢献が過小評価される傾向にあるように思う。オープンソースという言葉は知ってるけど、自由なソフトウェアについては知らない、あるいは違いが分からない、間違って覚えてしまっているという人が多いように思う。

せっかくなのでこのエントリを開いた人は違いを覚えて行って欲しい。

自由なソフトウェアとは、ソフトウェアの実行や再配布、研究、改良、改良点の公開などを自由に行なっても良いという考え方だ。(参照:自由ソフトウェアとは? - GNUプロジェクト

一方、オープンソースとは、ソフトウェアを共有し、数多くの開発者が透明性の高い手続きに従って協力的な開発を行うことで、優れた(高品質、高信頼性、低価格な)ソフトウェアを開発するための手法である。(参照:About the Open Source Initiative

もちろん、オープンソース的な開発手法を採用するには、ソフトウェアの自由が保証されてなければならない。ソースコードへのアクセスや改良点の公開はソフトウェアの自由によって担保されるからだ。ソフトウェアの自由なしにオープンソースは成立しないのである。

だが一方で、いくら立派な倫理を唱えたところで、実用的なソフトウェアがなければ絵に描いた餅になるのもまた事実である。そういった意味ではオープンソース的な開発手法が自由なソフトウェアにもたらした成果は大きいと言える。

これはまるで卵が先か鶏が先かという議論のようだが、個人的な意見を言わせてもらうと、自由なソフトウェアなくしてオープンソースは成立しないので、自由なソフトウェアのほうがより重要である。また、開発手法はあくまでも手法であり、手法には絶対的なものはない。バザールよりも大聖堂(あるいは伽藍)のほうが適した場面もあるだろう。自由は取り替えることはできない(自由か、あるいは死か!)が、手法は使い分けるものだ。また、よくオープンソースの文脈で、ベンダーロックインがどうこうという議論が行われるが、ベンダーロックインは自由なソフトウェアの領域の課題であり、オープンソース的な開発手法とはあまり関係はない。というわけで、個人的にはオープンソースにそれほど肩入れはしていない。

自由なソフトウェアは素晴らしいものだ。だが、世の中の多くの人はそれをオープンソースの成果だと考えている。あなたがオープンソースの利点だと考えていることは、実は自由なソフトウェアによってもたらされているものである可能性が高いということを、覚えておいて頂きたいと思う。

少し話が横道に逸れるが、私が仕事の糧としているMySQLは、オープンソース的ではないという指摘をされることがある。その指摘は間違ってはいない。開発はオラクルが主体として実行しており、その手順あるいはプロセスは透明ではないからだ。その指摘は私にとって「だからどうした?」という感想しか起きないものである。先程述べた通り、開発手法というのはあくまでも使い分けるものであり、どの手法が最も適しているかはケースバイケースであり、優れたソフトウェアを開発するには状況に応じて最良の手法を選択すべきである。MySQLはオープンソース的な開発が行われているわけではない(フィードバックやパッチを受け付けているので部分的)が、優れたソフトウェアの部類に入ると個人的には思っている。一方、自由かどうかという点は非常に重要だが、MySQLのコミュニティ版はGPLv2なのでその点は大きな問題ない。(問題点はライセンスのバージョンがGPLv3ではなくv2になっている点だろう。)GPLv2は自由なソフトウェアのためのライセンスである。MySQLは自由なソフトウェアであるが故にベンダーロックインが起きていないということは、MariaDBが証明してくれている。

ユーザーの自由とプライバシーを守れ!


ソフトウェアの自由は何故重要なのか。それはユーザー(コンピューターの使用者)の自由が大事であるからに他ならない。自由は大切なものだ。従ってソフトウェアの自由もまた大切なのである。ITはますます重要になりつつあるので、ソフトウェアの自由の重要性もさらに高まっていくことだろう。

ソフトウェアの自由がないということは、ユーザーは中で何が行われているかを知る権利がないということである。まさにブラックボックスであり、ソフトウェアの提供者がバックドアを仕掛けてあなたのプライバシーを盗み見ても分からない。事実、今年に入ってからもスマホ向けの不自由なソフトウェアによって、ユーザーの情報が抜き取られるという事件が起きている。自由なソフトウェアであっても悪意のあるソフトウェアを作成することが可能だが、ユーザーはその気になれば調べることができる。

ソフトウェアに自由がないということは、ユーザーのプライバシーが危機にさらされるということを意味する。フリーソフトウェア財団では、自由なソフトウェアの重要性についての多くの議論が尽くされており、その中でもユーザーのプライバシーは十八番である。それはずいぶん前に発刊された、リチャード・ストールマンのエッセイ集、「フリーソフトウェアと自由な社会」にも見ることができる。もし読んだことのない人は、ぜひこの機会に一読してみてはいかがだろうか。いつまでも色褪せない、倫理についての考え方も磨くことができる内容になっている。



GNUよ、永遠なれ!


ユーザーの自由を守るための戦いは、これからもずっと続くことだろう。企業は隙あらばありとあらゆる手段をもってユーザーの自由を制限しようとするからだ。(それによって利益を独占するのが目的だ。)企業のそういった体質はこれからも変わることがないだろう。だからこそ、倫理的な観点から企業の間違いを正す活動が必要なのである。GNUプロジェクトおよびフリーソフトウェア財団はその中心的な役割を果たす存在であり、今後ますますその重要性は高まっていくことだろう。

もしあなたが自由を大切だと考えているならば、ぜひともGNUプロジェクトを支援して欲しい。支援する最良の方法は、フリーソフトウェア財団のアソシエイトメンバーになることだ。月々10ドルからメンバーになることができる。メンバーになっても良いという人は、このページから申し込みをしよう。(学生は半額!)年額500ドル以上払うとThank GNUのページで感謝してもらえるので、すっげえ貢献した!という気分に浸りたい人は500ドルコースがオススメである。懐事情が厳しい人は少額の寄付でも構わない。その支援が世界の未来を切り開く。これは未来への投資であり、あなたの「より良い未来」を望む気持ちが大事なのだ!

もうひとつの重要な点は、自由なソフトウェアとその重要性について正しく理解することである。正しい知識を身につけることは、間違った意見に惑わされないようにするために重要である。特に「GPLは感染する」といった悪質なデマが跋扈しているが、そのような意見は発信者が正しい知識を持っていないか、あるいは悪意をもって意図的にそのような発信をしているかであるので、どうか惑わされないようにして欲しいと思う。(参照:漢(オトコ)のコンピュータ道: GPLは感染するか否か)そして正しい知識をもって、自由なソフトウェアの重要性を発信して欲しい。

最後に、自由なソフトウェアのいちファンとして、これからもGNUプロジェクトを応援すると共に、一人でも多くの人に応援に加わって貰いたいと思う。GNUよ、永遠なれ!!

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