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2011-05-26

原発事故賠償関連のニュースをスッキリ読み解くための15のポイント

コンピュータの話題ではないので、興味のない方はスルーして頂きたい。

3.11以降、原発関連の話題がニュースを賑わせている。原発の賠償問題はセンシティブかつ複雑なので、メディアによって言ってることがまちまちであったりして、ニュースを読む側としても捉えにくいテーマのひとつになってしまっているのではないかと思う。そこで、今日は原発事故の賠償問題関連のニュースを読むにあたり、押さえておくべきポイントを挙げてみようと思う。幾分筆者自身の素人的な見解が混じっている部分もあるが、その点についてはご容赦頂きたい。

なぜ東京電力が無制限に賠償しなければならないのか。

東京電力が青天井で賠償しなければいけない根拠は「原子力損害の賠償に関する法律」にある。この法律では、原子力事業者(今回の場合は東京電力)による無過失(過失があろうがなかろうが関係なく)かつ無限の賠償を定めている。ただし、以下の2つの場合を除く。

  1. 異常に巨大な天災地変
  2. 社会的動乱

前者には超巨大地震や隕石の衝突など、後者にはテロによる爆破などが該当するだろう。今回の場合は引き金になったのは地震と津波なので、これが「異常に巨大な天災地変」に該当するかどうかがひとつの争点になる。だが、現時点で政府の見解として「東京電力の賠償は青天井」としているので、政府は該当しないと考えているようだ。ただし、最終的に法的な判断するのは政府ではなく、裁判所でなければならない。

異常に巨大な天災地変に該当するかどうか?

東北地方太平洋沖地震そのものの規模はとても大きい。損害は観測史上最大であり、被災地も非常に広範囲に及ぶ。なるほど東北地方太平洋沖地震そのものだけを見ると、異常に巨大な天災地変かも知れない。だが、福島第一原発周辺の震度は6弱であり、局所的に見れば度々日本で起きる大地震程度であって「十分に予見可能」であるのではないだろうか。15m級の津波が来るということも以前から指摘されていたことである。異常に巨大な天災地変とは、関東大震災の3倍の加速度を持つ地震だとか、隕石の衝突だとかが想定されているらしい。

最終的な判断・決定をするのは裁判所であるが、判決が妥当なものかどうかを判断するには、上記のような点を考慮しなければならないだろう。少なくとも、神の仕業と言うべき規模の地震・津波でなかったことは確かである。

東京電力がなくなったら賠償ができない?

原子力事業者の能力を超える賠償金の支払いが必要な場合には政府が支払うということが、先ほどの「原子力損害の賠償に関する法律」で定められている。なので「被害者のためには東京電力を存続させなければ!」という議論は的外れである。

そういうわけなので、現時点で賠償金額は東京電力の支払能力を大きく上回っているわけであり、賠償金の支払いに税金が使われることは明白である。あとは金額がどの程度になるかということが焦点になる。(そもそも国は震災の復興に費用がかかるのだから、できるだけ国の支払いが少なくするようにしないとまずいんじゃないかと思う。)

東京電力がなくなったら発電できない?

発電するのに必要なのは発電所とそれを動かす人員であって、東京電力という組織ではないからだ。もちろん、東京電力の資金繰りができなくなった場合には、政府が東京電力の取引先への支払いを肩代わりするなどの措置を講じる必要があるだろう。資金繰りが出来れば事業を継続することが出来る=発電が出来るというわけである。

補償金を貰っていたら文句を言えない?

例えば次のようなニュースが報じられているが、これは醜い意見である。

対立生む“原発の恩恵” 遠方住民「手厚い補償、被害者ぶるな」

原発周辺の地域に支払われている補償が「事故が起きても文句を言わないでね」という名目で支払われたのであれば、補償をもらっていた人は文句を言う資格がないということになる。だが、実際はそうではなく、原発を受け入れてくれる地域を確保するための補償である。(そうでなければ原発などという厄介なシロモノを引き受ける地域はないだろう。)原発周辺の住民は、れっきとした被害者なのである。

補償金が羨ましい近隣地域は、「こっちにも補償をよこせ!こちらも原発から近いんだ!不公平だぞ!」と主張し、補償金を勝ち取る努力をするべきだったのだ。

電気を使っていたら文句を言えない?

非常に多くの人が「今までさんざん電気を使ってきたのだから、国民がそのツケを(賠償金として)払うべきだ」という意見を主張している。例えば次のエントリでの主張がそうだ。

国民負担はあたりまえ - Chikirinの日記

以下は引用である。

御用学者がどうの癒着がどうのというけれど、突き詰めれば「原発を利用しながら、豊富な電力を得て利便性の高い社会を作ろうとしていたのは、まさに日本の国民(有権者)の民主的な意思決定の結果だった」とちきりんは理解しています。

その意思決定に伴う損害を、今は福島県の人が一身に背負わされているのだから、その補償のために東京電力の資産で足りない分を国民全員で負担するのは当然だと思います。

これはおかしな話ではないか。

そもそも、利便性を享受することと、事故による被害を甘受することは別問題である。それぞれ個別に議論するべきことであって、両者はイコールでは結ばれない。もし仮にイコールで結ばれるとしたら、自動車によって便利な生活を享受している我々は、自動車事故にあっても一切を甘受しなければならないということになってしまうし、事故を起こした本人の代わりに国が賠償金を支払うことになるだろう。自動車ではピンと来ないのであれば電車ならどうか。我々は電車事故に遭遇しても、利便性を享受していたから事故による被害も甘受しなければいけないのか?事故を起こした鉄道会社に代わり国が賠償をしなければいけないとでもいうのか?

もちろんそんなわけはない。

原発も自動車も電車も、運転する側は事故を起こさないように務めるのが義務であって、事故が起きたらその責任を負わなければならないのは社会人としての常識である。そのような責務がなければ、誰も安全に気を払わなくなるだろう。

余談であるが、東京電力で賄いきれない分の賠償金は政府が払うということは原賠法で決まっているので、改めて「全国民で負担すべき」などと主張する必要はない。

原発の運転を認めた政府が悪いのか?

「原子力を政策として進めてきた政府にこそ責任がある」とか「原発の建設を許した時点で政府に責任がある」といった意見も筋違いだ。

またまた自動車の喩えで恐縮だが、日本は政策として道路を敷設しまくって自動車の利用を促進している。そこで自動車事故が起きたら「運転を認めた政府が悪い」ことになるだろうか?もちろん、車社会の是非については、それはそれで考える必要があるだろうが、そのことと事故を起こしたときの責任は別問題である。

事故を起こして「車社会が悪りぃ!」なんていうのは、ただの開き直りであるといえよう。

事故そのものを政府のせいにしてはいけない。原発政策の是非については、別途議論をすべきなのである。

地震・津波の被害と放射能の被害

地震・津波そのものの被災者と、原発事故によって避難を強いられた被害者を一緒くたにしてはいけない。前者は国が救済すべき対象であるが、後者は東京電力が賠償すべき対象だからだ。もちろん福島も地震・津波の被害を受けたが、それ以上に放射能の被害に苦しめられているのである。両者をまとめて「被災者」と言ってしまうと、議論がぼやけてしまう。

東京電力は被害者か?

「東京電力も被害者だから責めるべきではない」という意見をたまに見かけるが、果たしてそうだろうか。東京電力は地震・津波の被害者でもあるが、一方で放射能事故では加害者でもある。地震・津波の被害を受けたことには同情するが、だからと言って放射能を漏洩させてしまった責任がチャラになるわけではない。本来、地震などでそのような事故が起きないように設計されたもの(という建前)なので、地震は言い訳にはならないのである。

そもそも、自分が被害にあったからといって、それが他人に別の被害を加えても良いという理由にはならない。例えば自分が暴漢に殴られたとしても、それは自分が腹いせに他人を殴っても良いという理由にはならないのである。

株を買ったお年寄りがかわいそう?

東京電力が倒産すると、株の価値はゼロになる。すると、「東京電力の株は安泰だと思って買ったお年寄りがかわいそうだ」という意見が出てくるのだが、これも甚だ筋違い。そもそも、株はリスクがつきものであって、「絶対存しない安全なもの」などは存在しない。そのように言ってお年寄りに売るのは詐欺というものである。従って、お年寄りは自分に「損しませんから」と言って株を売りつけた奴を非難するべきなのだ。

株主の責任

株式を取得するという意味は、単に株価が上昇することによってお金が増えるということ、つまり投資をするということだけではない。株式を取得するということは、共同で会社のオーナーになるという意味もある。所有する株式の比率が高ければ経営に首を突っ込むことが出来るようになるのだ。それは裏を返せば株主は自分が損をしないように、経営者を監督するべきだということであり、従って損をしたとしたらそれは株主の責任なのである。

今回の場合であれば、津波対策を取るよう要請するだとか、第三者機関を使って安全性の調査をするだとか、専門家をアドバイザとして雇うなどの行動をとるべきだったと考えられないだろうか。そういう風に、経営に対して口を出すつもりがなければ株主などというものになるべきではないし、なった以上は損失が出ても甘受すべきなのである。

東京電力社員の給料は下げなければいけない?

社員の給料をどの程度にするべきかは経営者が決めることであり、外野が口を出すべきことではない。東京電力の社員は世間一般と比べると高給だと言われているが、それは東京電力の経営陣が判断した結果そうなっているだけのことだ。(高給が羨ましければ自分も東京電力に入れるよう努力すれば良かったのだ。)当然、経営が苦しくなったら社員の給料を下げるということは、常識的に考えると経営判断としてごく自然な流れである。だからと言って、政府を含めた部外者がとやかく言うべき権利はない。

「給料を下げなければ国民の理解が得られない」などと政府が言っているのは、東京電力を(その資産を整理しないまま)救済することを前提としているからである。救済しなければ、給料を下げようが上げようが国民の理解など必要ない。

同様に、役員報酬をどうするかということも、部外者が口を出すべきことではない。役員の報酬が高いか低いかについて言及できる権利があるのは株主だけなのである。

個人的な意見を言わせてもらうと、優秀な人材を確保するためには、相応の報酬を支払うべきなので、いたずらに報酬を下げるべきではない。一方で、省庁からの天下りは受け入れるべきではないと思う。

なぜ送電事業と発電事業は分割するべきか?

現時点で議論すべきなのは、「送電事業を売却するとかなりの金額になり、賠償金の支払いに充てられる」ということである。「送電と発電を分離すれば発電事業への参入がしやすくなる」というのは確かにメリットのある話だが、現時点で議論すべきではないだろう。東京電力が国から支援を受けるにあたって送電と発電の分離が行われていなければ、「まだ売れるものが残っているだろう?」と突っ込むポイントになるのである。

電気料金の値上げは仕方ない?

これはある意味仕方がない部分とそうでない部分がある。

電力会社は電気料金を自由に設定することは出来ない。電気事業法で次のように定められているからだ。

第十九条
2 経済産業大臣は、前項の認可の申請が次の各号のいずれにも適合していると認めるときは、同項の認可をしなければならない。
一  料金が能率的な経営の下における適正な原価に適正な利潤を加えたものであること。
(以下略)

原価に相当する部分が増えれば、それに連動して電気料金が上がるのは仕方がないことである。例えば、今年は原発が使えないので火力発電に頼らなければならず、そのための燃料費がかさんでしまうということであれば、それは正当な原価なので電気料金に反映されるのは妥当であると言える。一方で、賠償金や福島第一原発の処理にかかる費用などは、発電にかかるコストではないので、原価として織り込むのがOKかどうかは意見が分かれるところだろう。最終的に許可するのは経産大臣なので、電気料金の値上げが不服であれば経産大臣に文句を言うべきである。

政府の賠償スキームは妥当か?

以上の知識をもって、政府が発表している賠償スキームを見てみよう。

東京電力福島原子力発電所事故に係る原子力損害の賠償に関する政府の支援の枠組みについて

賠償について議論されるはずなのに、いきなり「事故の収束に向けた道筋」から入るという支離滅裂な構成になっている。仰け反ることうけ合いである。なぜこのようなスキームになったかということについては色々と思うところはあるのだが、憶測の域を出ないのでここには書かないことにする。ひとつ言えることは、文書の論理性という観点から見ると、この文書が落第点であるということだ。

ただ、文書の筋が通っていることと、スキームが有効かどうかというのは(相関はあるかも知れないけれども)別問題である。筆者は政策の専門家ではないので、この賠償スキームの有効性がどうかということについては言及しない。従って、このスキームが本当に有効かどうかという判断は、あなた自身に委ねることにする。

まとめ

原発被害に対する賠償問題は我々国民にとって非常に大切なテーマであるにも関わらず、複雑な問題であるため全体像がつかみにくく、ニュースを読んでもピンと来ないことが多い。問題の全体像が複雑怪奇である場合、全体ではなく個々の小さなひとつひとつの問題をクローズアップし、点と点を線で結んでいくことで問題の輪郭を見るというアプローチは有効である。皆さんがニュースを見るにあたり、本エントリが一助になれば幸いである。

3 件のコメント:

  1. ありがとうございます勉強になりました。

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  2. >「給料を下げなければ国民の理解が得られない」などと政府が言っているのは、
    > 東京電力を(その資産を整理しないまま)救済することを前提としているからである。
    > 救済しなければ、給料を下げようが上げようが国民の理解など必要ない。

    それでは、税金が使われるなら政府や国民はいくらでも給料に口出しできるって事だよね。

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  3. > mildrelaxeさん

    すべての国民には税金をどのように使うべきかを口に出す権利がありますよね。直接的な判断を下すのは行政ですが、国民は選挙を通じてどのようにすべきかという意思を伝えるまでです。

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