それは、リチャード・ストールマン著「フリーソフトウェアと自由な社会」以外にはない。なぜなら、何か道を定めるとき最も重要なのは倫理観だからだ。
社会は欺瞞に満ちている。企業は自社の利益にとって都合の良いことばかりを宣伝し、政府もそのような企業によって動かされ、市民は何が本当に大切なことなのか、即ち倫理を忘れがちである。リチャード・ストールマンの素晴らしいところのひとつに、倫理的な洞察力に優れているということが挙げられる。
倫理を学び、ソフトウェアがどのように社会に貢献するかを知る。それはこれから社会人になろうという人たちにとって、大きな道しるべになろう。リチャード・ストールマンが目指す社会は次のようなものだ。(第2章「GNU宣言」より抜粋。最後の部分。)
長期的には、プログラムをフリーにすることは、飢餓のない世界、つまりすべての人がただ生活するだけのために必死に働かなくても済む世界に向かっての一歩になるだろう。少なくとも、フリーソフトウェアが実現すれば、ブラックと言われるIT企業はなくなるのではないだろうか。フリーでない(自由でない)ということは、他者の行動を妨害するに等しい。お互い妨害することなくなれば、真に生産的な活動だけに注力できるのである。そのような世界は、今よりももっと豊かに、特に時間的な面で豊かになっているに違いない。
他者の行動を妨害して利益を得るのはほんのひと握りの人たちだけなのである。多くの人々は「お金を設けるため」に「他者の自由を制限すること」が正しいことだと信じ込まされている。だが、決してそんなことはない。労働者はそれによって(巡り巡って結果的に)自らの自由を制限しているに過ぎないのだ。
「フリーソフトウェアと自由な社会」は2003年に出版されたので、筆者は10代で読んだわけではないが、10代の人にもそうでない人にもお薦めする至宝の一冊である。平易な言葉を選んで書かれているので、身構えずに読んでみよう。
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