More info...

2013-04-25

書評:電気代500円。贅沢な毎日


以前、「電気代500円」というセンセーショナルな文字が東京新聞のウェブに掲載され、衝撃を受けたことを覚えている。すでにウェブ上に記事は残っていないが、2ちゃんのまとめサイトなどに無断転載されたものがあったりするので読むことができる。2ちゃんねるの反応は「時代錯誤だ」とか「全然羨ましくない」、「節約も度が過ぎるともはや宗教じみてキモい」といった心ない文字であふれている。果たして本当にそうか?その回答をくれるのが本書である。以下、若干のネタバレ注意。

家電はいらない


電気代が500円で済む理由。それは家電を効率的に使っているという理由ではなく、そもそも家電がないからだ。掃除機や洗濯機、さらには冷蔵庫までないというから驚きだ。「家電はいらない」というのは第1章の最初の節のタイトルである。電機メーカーの人が見たらぶっ倒れること請け合いである。

家電がないというと、古臭い貧乏な生活を営んでいるといったイメージをもってしまいがちだが、本書を読めば著者アズマカナコ氏の生活がそのようなものではないということがわかる。むしろ、現代人が羨ましくなるぐらいとても豊かな生活が描かれている。アズマカナコ氏は小説家ではないので表現はイマイチ豊かではないのだが、それでも誠実な文章から氏の豊かな生活をうかがい知ることができる。ただし若干の想像力が必要なので、本書を手にとった際にはぜひ丁寧に読んで頂きたいと思う。

家電がなくて困らないのは単に我慢しているからではなく、家電がない場合にどうすれば良いかを知っているからだ。ずっと昔は家電がないのが当たり前で、人々はそれでも特に困らず暮らしてきた。アズマカナコ氏の生活は、その不便だった生活に戻ったというわけではない。家電がないなりに様々な工夫がなされている。それは生活の知恵というだけでは片付けられない。本書で描かれている生活は、とてもインテリジェントなものなのである。恐らく「大学で環境を学んだ」という著者だからこそ、そして科学が発展し、情報の蓄積がある現代だからこそ、アズマカナコ氏の「電気代500円」は実現したのではないだろうか。

生活様式の提案


率直に言って、私はアズマカナコ氏の生活を羨ましく思った。どこを羨ましく思ったのか?それは余裕があるという点でだ。「電気代が500円しかかからないから金銭的に余裕がでた」といった浅はかな余裕ではない。時間の使い方、楽しみの感じ方に対する余裕だ。

本書のアズマカナコ氏の生活からは、「カツカツに切り詰めている」といった様子は伺えない。東京で一軒家を持ち、さらに土地を借りて家庭菜園まで営んでいる。家はリフォームした中古物件だが、趣のある日本家屋であり、そのようなテイストが好きな人には持って来いだと言える。土地代の他にリフォーム代が200万円程度だったというから、金銭的にも余裕があるのではないだろうか。

アズマカナコ氏が描く自身の生活様式から伝わってくるメッセージは、「無駄をなくそう」というものだけではなく、そもそも「無駄なことに時間を使うのをやめよう」というものである。無駄なことに時間をかけなくなった結果、本当に価値のあるものにだけ時間を使うことが出来るようになるというわけだ。そのような生活を実践できるのは「何が重要なのかを考えたから」に他ならないように思う。アズマカナコ氏が本当に価値あるものに気づいたきっかけは、「本当に現代人の生活はこれでいいのか」という疑問からであり、その疑問を解消すべく家電を使わない生活を実践したということである。

その結果、現在アズマカナコ氏およびその家族はとても幸せな生活を送っているように見える。

手に何も持たないから空手


私は漫画「バキ」シリーズがとても大好きである。そこに登場する空手家「愚地独歩」はずっと武器を持たずに徒手空拳で戦うというスタイルを貫き通している。たとえ相手が武器を手にしても・・・である。

何も持たないから強い。それが愚地独歩。

本書は単に電気代を節約しようという主旨のものではない。そこには生活そのものを見なおそうというメッセージが込められている。その中のひとつとして、「本当に必要なものしか持たないようにしよう」というものがある。アズマカナコ氏は「モノを持たない」という生活様式を提案してくれているのである。そして、それはかなり説得力がある。持たないことでストレスから解放されるのである。

何も持たないから快適。それがアズマカナコ氏が提案しているライフスタイルであるといえよう。

同じようなこと(捨てれば楽になる的なこと)を他のブロガーが書いたりしていると肯定的な意見が目立つのだが、それがいざ家電を持たないとなると2ちゃんねるで散々に叩かれてしまう。

「家電を捨てる?あり得ない!」

という固定観念があるのだろう。本当にそうだろうか?我々は思考停止に陥ってないか?その問いに対するひとつの解をくれるのがこの本である。

本当に豊かな暮らしとは


モノを持たない暮らしといのは仏教の考え方に通じるものがあるように思う。日本に定着した=土着の宗教と融合した仏教ではなく、本来のお釈迦様の教えという意味において。欲を捨てれば幸せになれるという仏教の考え方と、モノを持たなければ余計なストレスから開放されて幸せになれるという考え方には共通点が見えてくる。

本当に大切なものとは何か。それは家族であり、生活そのものが楽しいということであり、楽しさや幸せを感じる心ではないか。浴やたくさんのモノに囲まれていては、大切なものを見失ってしまう。するといくら物質的には豊かであっても、精神的に貧しくなっていく。

だからといって全てを放り出してヒッピーになるのが幸せだというわけではない。ヒッピーになってしまったら文明的な生活が成り立たないからだ。アズマカナコ氏は、書籍のなかで何度も「身の丈の暮らし」という単語を用いている。それは全てのモノを捨て去るのではなく、本当に必要なものだけを使った暮らしと言い換えることができるだろう。

いくら便利になったところで、いくら物質的に豊かになったところで、精神的に貧しくなっては意味がない。本当に必要なものは何か・・・という問いの中から、本当の豊かさとは何か、幸せな生活とはどういうものかということが見えてくる・・・のだと思う。

そういう意味では私自身まだかなりのモノに囲まれて生活していると思っている。なので本当に必要なものを見極めるという作業が自身も必要だろう。

人生の勝者


アズマカナコ氏は間違いなく人生の勝者であると思う。本を出して有名になったからとか、一軒家を持っているからという理由ではない。持たない生活を実践することで、自身の幸せを感じることができるようになったからだ。幸せな生活を送れば、皆人生の勝者なのである。

本当に家電は必要なのかという問いから、本当に人生にとって必要なものは何かということを描いた一冊であり、本書はとてもオススメである。人はそれぞれ違うので、アズマカナコ氏とまったく同じ生活を実践するというのは全員ができるわけではないだろう。だが、自身の人生を考えなおすという点では、とても刺激的な一冊であるのは間違いない。

とりあえず電気代が減ると家計が楽になるのも間違いないので、節約を実践したい人にもオススメの一冊である。

3 件のコメント:

  1. はじめまして.
    Linux関連の記事を見ていたらこちらにたどり着きました.

    どうも,応援しています.

    返信削除
  2. 「身の丈の暮らし」っていいですね。少なくともグルメだのブランドだのは僕の「身の丈」には合わないって感じてました^^;

    返信削除
  3. 空色のみかん さん

    コメントありがとうございます。参考になれば幸いです!

    Kenzo Nagahisa さん

    そうですね。「身の丈」というのがキーワードだと思います。無理しない、欲張らないというのが大事ですね。

    返信削除