完全電子マネー化
世の中が全て電子マネーになればどれだけ便利になるだろうか。コンビニで釣り銭として小銭をたくさん貰って財布がふくらんでしまうこともなくなるし、自動販売機でジュースを買うのに小銭を用意する手間も省けるだろう。電子マネーになればどこで何を買ったかという履歴が残るだろうし、そうすれば領収書を発行してもらう必要もなければ家計簿をつける必要もない。履歴が残れば脱税も不可能であるし、確定申告も不要になるだろう。現金が手元になければ窃盗も出来ないので犯罪の減少にも繋がるだろう。
役所の窓口業務のオンライン化
引っ越しをしたときのように何か身の回りに変化があると必ず役所に行って届出をしなければならないが、結構面倒だったりする。何故ならば役所は平日しか空いてないし、早々に締まってしまうところも多い。特に多忙で残業が多いサラリーマンにとって、平日に時間を作って役所に出向くという行為自体が割と大変だったりする。役所に出向いて行わなければいけない一連の諸手続が全てオンラインで出来ればどれほど便利だろうか。システム化すれば24時間365日利用できるだろうし、もはや役所に出向くためにわざわざ仕事を休む必要もなくなる。(休む口実が無くなって困る!という人が居るかも知れないが。。。)そもそも論であるが、住民票は日本全国共通の仕組みなので、市町村の役所ではなく国が一括して管理すれば良いのではないだろうか。
選挙の電子化
考えて見れば選挙カーほど無駄で迷惑なものはない。選挙カーは基本的に候補者の名前を連呼するだけで発信する情報量は皆無に等しいし、選挙カーが走行するための燃費や運転手の人件費だってバカにならないだろう。そして何より選挙カーは五月蠅くて迷惑な存在であり、そのようなものは一刻も早く禁止するべきであると思う。その代わりにインターネットを利用した選挙活動を認めるのがいい。そうすれば、各候補者(ないしは政党)がどのような政策を謳っているかも分かり易いし、何より選挙期間中静かになる。投票もオンラインで出来るようにするべきである。
国会の電子化
国会が格式張っていて非効率だと感じるのは俺だけだろうか。誰が何を言ってるのか把握しづらいし、法案の審議にもやたらと時間がかかる。牛歩戦術などは非効率性の象徴であるが、とにかく国会の決議は進まない、決まらない、既定路線のものだけすんなり決まるといった印象がある。国会議員たるもの普段からよく各法案についてはよく理解して、どの法案に対して賛成または反対すべきかなどということは即答できてしかるべきなので、投票に要する時間などは5分もあれば十分なはずである。決議はすべて押しボタン式投票にするべきだし、誰がどの決議においてどのような判断をしたかということは全て履歴をとってウェブ上で公開するべきである。(そうすれば次の選挙の時に投票するための判断基準になろう。)さらに議事進行においても、プロジェクト管理ソフトウェアを駆使して優先順位の高いものから順に話合うようにするなどの工夫が欲しいところで、さらに欲を言えば議論する内容については事前に十分に内容を吟味し、国会では賛成か反対かという意思表示だけをするところまで煮詰めておいてくれれば国会で審議される法案の数が劇的に増えることだろう。その結果、国民の生活は豊かで便利になるだろう。
裁判の電子化
国会の審議以上に時間がかかるのが裁判である。裁判もオンライン化すれば良い。そうすればわざわざ裁判所に出向く必要がなくなるし、裁判官が類似の事例を即座に検索できるような支援機能を利用すれば判決のスピードアップが図れるだろう。さらに裁判員が出廷しなくてよくなればパーフェクトである。
ETCの義務化
個人的に、民主党の「高速道路無料化」には反対である。むしろ堀江氏(ホリエモン)が言うように戦略的な価格付けをして渋滞を緩和するべきだと思う。冒頭で述べた電子マネー化にも繋がるが、料金を徴収するならクルマにはETCを義務化するべきである。料金所における渋滞は、ETCを完全義務化することである程度防げるからである。
著作権の再考
現在の著作権は保護され過ぎだと思う。とにかく著作物の扱いは不便で仕方がない。特にDRMというものは最悪で、「楽曲を購入しても自分のお気に入りのプレイヤーで聴くことが出来ない!」とか「携帯電話の着信音に設定できない!」という事態が生じてしまうので購買意欲も削がれてしまう始末である。地デジも不便だ。コピーが1回までだろうが9回までだろうが10回までだろうが同じことで、自由にコピーが出来ないデータというものは至極扱いづらい。我々国民はそのように不便を生じさせること≒DRMに対しては断固としてNo!というべきである。
著作権の全てを否定するわけではないが、現在はあまりにも保護され過ぎているのが問題である。著作者の死後70年も保護されるような権利とは一体何か?死後も保護されるのは何のためか?誰が幸せになるのか?今この瞬間に生きている国民はそれで幸せになれるのか?確かにミッキーマウスのようなキャラクターが真似されてしまっては、ディズニーのビジネスが成り立たないのは分かるし、夏目漱石の著作物は全て著作権が失効しているからと言って誰かが「我が輩は猫であるは自分が書きました」と偽ることは許されない。つまり何が言いたいかというと、著作物を保護するというコンセプトの全てを無効にするべきではないということである。
ただし著作物に纏わる権利には色々あって、それらを一緒くたにしてしまっているために種々の不便や問題が生じているのだと俺は思う。著作権という巨大な権利をもっと細分化して、例えば次のような権利ごとにそれぞれ期限を設けてはどうだろうか。
クレジット表示(誰が作成したかということを示す権利)・・・永遠に執行しない
キャラクターを利用する権利・・・商標法で長期間保護
映画や音楽を商業利用する権利・・・著作物が登録されてから5年〜10年
私的に利用する範囲でコピーする権利・・・自由!
商業的に投資を回収するのに十分な期間だけ著作権を認めるようにしておけば、著作者側も困らないし利用する消費者側も不便さを感じなくて済むだろう。
GPLないしはOSSの利用
政府の様々な仕組みを電子化するとなると、それはそれは大がかりなソフトウェアが必要になるだろう。しかし、現行の体制ではシステムを構築する時の一時的な価格優位性によってベンダーが決められてしまうが、それは時としてベンダーロックインという問題に直面してしまう危険性を孕んでいる。ベンダーにひとたびロックインされてしまうと、システムをメンテナンスしたり再構築する場合に他のベンダーへ切り換えるのに莫大な費用が必要になってしまう。プロプラエタリなソフトウェアは最悪で、ベンダー側がどのように危険なバックドアを仕掛けていてもユーザー側にはそれに気づくための手段がない。例えユーザーが国家であったとしても!だ。ベンダーロックインによって、国家のシステムを一ベンダーのコントロール下に置いてしまうという事態はあってはならないのである。このような危険なベンダーロックインを防ぐには、国家が調達するソフトウェアを全てGPLないしはOSSにするという決まりを作って、ソースコードごともらい受け、なおかつソースコードを一般公開してしまうのがベストである。特にGPLライセンスを利用すれば他の自治体でソフトウェアを再利用することも可能であるし、他のベンダーがそのソフトウェアを研究して改良や機能追加などを行い再利用することも可能である。国家が調達したものは国民の利益に還元されるべきなのでGPLでソフトウェアを公開するのはとても理に適っている。ソースコードが公開されていればバックドアを見付けることも出来るし、実装されたロジックを見ればどのような形式でデータが保存されているかも一目瞭然だからそのソフトウェアで作成したデータが将来に渡って安全に利用出来るということが保証される。国家がソフトウェア資産への投資を最小化し、なおかつセキュアなシステムを構築するにはベンダーロックインを避けることが出来るGPLないしはオープンソースソフトウェアでなければならないのである。
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というような政策を打ち出してくれる政党があれば全力で応援するのだが、残念ながらそのような政党はまだ俺の脳内にしか存在しないのである。
選挙の電子化僕も賛成です。何年か前に海外の会社がその仕組みを日本に売り込みに来ていたというニュース(たぶんワールドビジネスサテライト)がやってました。
返信削除moriさん、
返信削除コメントありがとうございます。電子投票(選挙・国民投票等)があると本当に楽になりますね。投票率は格段に上がると思います。